ファーリーファンダム(ケモナー)とLGBTQあるいは解離との密接な関連

愛着とトラウマ(虐待)
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人は様々な手段を使って、自分を表現したり、自分とは違うものになろうとします。化粧、コスプレ、道化、着ぐるみ。変化するための方法は多彩ですね。

着ぐるみを着る人々は性別違和(LGBT)の人々が多いという研究があるようですが、今回の話は性別違和とはちょっと違う人のファーリー物語です。道化、性別違和、解離ーこれらをファーリ―という軸を通して概観してみました。

動画でも配信しています。

SEKAI NO OWARI:道化としてのファーリ―

セカイノオワリ、ゴールデンボンバーなどには、一人の道化師がいます。あのような道化の元祖は誰かというと KISS でしょうか。時代は1970年代へ遡ります。日本の元祖は、シャネルズや聖飢魔Ⅱといったところでしょうか。歌舞伎もそうかもしれませんね。道化の系譜が流れています。

以前、私の見間違いでなければセカイノオワリの道化師がピエロの道化メイクではなく、着ぐるみを着ていました。見間違いでなければ、頭部にだけオオカミっぽい着ぐるみを着装していました。

道化はコスプレとはジャンルが違うようです。コスプレは誰かに見られることを想定していますが、道化はちょっと違う。自分のこころの内側を「道化」というスタイルで表現している。コスプレは外見的な変身ですが、道化は内側の表現といえるでしょうか。

そして道化ともコスプレとも違うのが、着ぐるみを着る人々です。

ファーリ―と性別違和

動物の着ぐるみを着る人々を Furry と言います。この文化は1980年代のSFから始まったようです。毛皮、正式名はファーリー・ファンダムです。日本語ではケモナー、獣から由来する、そのものですね。Furry のコミュニティに在席している人の話です。

私は10代のときから動物になりたかったのです。自分でキツネの着ぐるみを縫いました。頭はウレタンやプラスチックで形成して、毛皮としてフェイクファーを使います。人からのリクエストで着ぐるみを作ったりもしています。

着ぐるみを着ていると落ち着きます。しゃべらなくていいので原始的なコミュニケーションになるので楽。幼稚園くらいからキツネになりたかった。

ファーリーのコミュニティでは2種類の人がいます。

  • 1つは、着ぐるみは動物で、中には人間が入っているパターン
  • もう一つは、着ぐるみは動物で、中には動物になりたい人間が入っているパターン

これらは似ているようで違うのです。

彼の体感によると、ファーリー集団はゲイの人々が多いということです。

学術論文(*1)では「ファーリー集団における同性愛者ないし両性愛者が占める割合は、ファーリ―でない一般的な集団と比較しても10倍高い」となっています。同性愛者ないし両性愛者とは、LGBT(Q)の中のLGBの人々です。つまり性自認が身体性と一致している人々です。さらに別の研究(*2)では「ファーリ―集団の81%が男性」とあります。となると、研究結果と、G(ゲイ)が多いという彼の体感は一致しますね。

私の感想でしかありませんが、バイセクシャルの人々は、着ぐるみを着るほどのノリはないのでしょう。テレビに出てくる人々も、マツコを代表とするゲイ集団しかいないところから考えると、なるほどと思えます。

彼が性同一性の混乱を意識しだしたのは10代からで、同時にその頃から自分はキツネであると思ったとのことです。このことからも、性同一性障害(性別違和)とファーリーはリンクしているように見えます。

ファーリ―と解離

Furry

しかし、これまでの解説を覆すようですが、私は彼のことを実は、LGBT(Q)のうちのQに属する人と見ています。Qは性別違和ではなく解離の話ではないか別記事で書いています。解離的なファーリ―ではないか、と。

性別違和なら治療することもないですが、解離ですと、かなり生きづらいはずですので、治療が必要になってきます。それはカウンセリングを主体にした解離に対しての治療です。

実際、解離も2つありました。

  • 自分の体から外側に離れる解離
  • 自分の内側に離れる解離(着ぐるみ解離)

後者は着ぐるみを着たような解離です。ファーリーは性別違和と関係するといいますが、実はファーリーの中には解離性障害の人々もいると思います。そういう人の生きづらさは、解離性障害そのものへの治療になります 。背景には虐待も見え隠れします。不安型愛着スタイル、あるいは(恐れ・)回避型愛着スタイルへのアプローチです。

■ぶらり、宵まち、さんぽ道(番外編)

着ぐるみというのは、フツーの人にとっても、解放感を味わえるものなのかもしれません。つまり創造的なものから病的なものまで、大きなスペクトラムで考えることができるのかもしれませんね。

ファーリ―スペクトラム。これは解離を考えるときにも用いられる考え方です。創造的な解離から重篤な解離まである。ファーリ―もそのように考えることができます。

着ぐるみを着るという体験は、誰でもあるわけではないでしょう。バイトで着ることはあっても、それは仕事ですから。自分の意志で着たいと思ってきることは少ない。着ぐるみを着ると自分だと分からなくなります。つまり行動と自分が切り離されます。この解放感は着た人にしか分からないでしょう。

【着ぐるみ】人は自分の体にしばられています。それは身心が一致していることなのでコントロール感があって安心ではあります。しかし、こころ的にはたまに窮屈を感じることがあるかもしれませんね。とくに10代とか。「うっせえわ!」自分の体!って感じ(笑)。着ぐるみ着ると、違う体を得た感覚になる☺

かつて私は、大学生の頃、デパートの屋上の怪獣ショーのバイトで、怪獣の着ぐるみを着ました。夏場の日中なので、着ぐるみの中は汗のプール。地獄だった記憶しかありません。あのときは「解放感」など感じる余裕はありませんでした。懐かしい、唯一の、私のファーリ―な記憶です。

Reference

(*1)Gerbasi, Kathleen et all: Furries From A to Z, Society and Animals, 2008
(*2)Kyle Evans: The Furry Sociological Survey, 2008 https://web.archive.org/web/20130904201818/http://www.cannedgeek.com/images/sharedfiles/fss_report_finaldraft.PDF

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