恐怖という感情に人はどう対応しているのか【安心感との関係】

この記事は約2分で読めます。

恐怖というものは、人間にとって、いや生物にとっては、根源的な感情です。もし、恐怖がないと、危険なことが身に迫っていても、感知することができず、命を落としてしまうことさえあるでしょう。

つまり恐怖とは、必要不可欠な根源的な感情なのです。しかし、この恐怖がいつもむき出しになっていると、常に怖くなってしまって、新しいものを探索することすらできなくなってしまいます。つまり、進化・進歩というものがなくなってしまう。このため、この恐怖という感情に、ある工夫がされています。

それは、まるで地球の大気圏のように、恐怖の周りを安心感が覆っているのです。恐怖を地球に例えるなら、安心感が大気圏です。この状態ですと、流星という刺激が地球へ飛び込んできたとしても、ほとんどの流星は大気圏で燃え尽きてしまいます。

そしてその刺激を、ちょっと怖かったねと、やり過ごすことができます。

これが、通常の恐怖の構造です。

精神医学には、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という疾患がありますが、PTSDは、不条理なことが起きて、この恐怖を被っている安心感に亀裂が入った状態です。こうなってしまうと、刺激がその亀裂に侵入し、ダイレクトに恐怖に突き刺さります。これはものすごい恐怖体験になります。ちょっと怖かったねでは済まされません。それゆえ、安心感に亀裂が入ると、常に高い覚醒状態になってしまって、360度神経を研ぎ澄ましていることになり、鎮静することが難しくなります。オチオチと眠っている場合ではなくなってしまいます。睡眠障害を起こし、健康を保つことが難しくなります。そのうち、疲弊してしまいます。燃え尽き症候群です。

虐待を受けて育った愛着障害のある人々は、この安心感という大気圏さえ無い状態です。ですから、四方から刺激が恐怖に突き刺さってきて、外出どころの話ではなくなります。しかし、根が真面目に生きてきた人達なので、自分の弱さを恥じながらも、人に見つからないようにして世界の片隅で息を潜めているのです。弱みを人に見せないようにして、かろうじて浅い息をしているのです。

タイトルとURLをコピーしました