機が熟すまで待てるか。それは相談者にも、カウンセラーにも、双方に言えることでしょう。時代に逆行するようなことですが、それしか心理的な回復はないように思えます。旧時代のカウンセラーとしての私は、そんな話しかできません。
機が熟す
熟したものは甘くておいしいですね。それは甘味だけではありません。舌に溶ける、腐る寸前の風味というものがあるのです。青々としたものが美味しいのもありますが、熟した味わいというものは格別です。
熟すというのとはちょっと違うかもしれませんが、ふぐの肝(肝臓)をあえて食べるという人もいます。トラフグの肝臓にはフグ毒があり、青酸カリの一千倍の毒性があるといいます。この毒がヒットしてしまうと、死んでしまうわけですが、フグの肝は至上の美味とも言われます。死と引き換えでも良いらしい。人間の飽くなき欲求にはすごいものがあります。比較が過激かもしれませんが、覚せい剤への依存と似ているのかもしれません。
或る人が話します。
胸の奥に、恐怖がずっとぎっしりと詰まっていて、まるでロシアの永久凍土のようでした。カウンセリングを始めても、その凍土状態はしばらく続きます。1年以上続いたでしょうか。あるときそれが網走の流氷のようになりました。なぜかは分かりませんが、永久凍土が少し溶けて、流氷のように流れていった。そしてそこから数年後、気がつくと流氷もなくなっていました。
この人の氷の世界の変化も、機が熟したということでしょう。永久凍土が流氷に変化したのは、その人の感情の流れを追っていけば、その理由は分かりますが、その人にとって永久凍土が流氷になったというのは、だんだんと恐怖が薄れていったのではないのです。気がつくと無くなっていた。
恐怖も感情の一つで大きなエネルギーを持つものです。エネルギーは、その状態を変えるとき不連続にジャンプして変化します。エネルギー順位というものがあって、それは連続体ではないのです。これは量子力学の話で、それを心理学へ持ち出すのもなにやら野暮な気がしますが、そうやって恐怖というエネルギーの変遷を見ていくと、急に変化していたというのはあり得るのでしょう。例えとしてあり得るのかな。
機が熟すと、急にそれがなくなったと感じるのでしょう。機が熟すまでは時間がかかります。それは心理学的には、待つということです。待つを身に付けるのは大人化することで、子どもは待てません。機が熟すには待つを身に付けていくということも、回復の別枠としてひとつあるのでしょう。
ねじまき鳥クロニクル
村上春樹のこの三部作は、主人公が井戸の底へ入って、その時を待つシーンが随所に出てきます。井戸の底で何をしているのか。それは井戸の壁を抜けて、違う世界へワープする瞬間を待っている。そうやって地下の世界を進んでいく。
地上からは何が起きているか分からない。でも地下では物語が進行していく。永久凍土だったものが流氷になる。しぶとく待っていたら、無くなっていた。
機が熟すまでカウンセラーが待つことができるか。それが相談者の回復に寄与する態度の一つなのです。世界はどんどんとスピードアップしていきます。それと逆行していくような仕事がカウンセラーの仕事なのです。
焦っているとこころは回復しません。焦らないでいられる空間に出会いたいときは、ソレア心理カウンセリングセンターへ。
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