ちなみに【コロナ禍】は、「コロナわざわい」ではなく「コロナか」と読むそうです。私も「コロナわざわい」は違うだろうと思っていて、コロナ時代と言っていましたが、「コロナか」と読むと分かって落ち着きました(笑)。
この記事は、のべ2万人の悩みを聴き続けている、マインドフルな臨床心理士が学んだことを中心に、最新の知見をお伝えします。
・コロナ禍でマスク着用。カウンセリングの場でどう振る舞えばいいか悩む
・いつも自分の症状を話すのがはばかられる。少し控え目に話してしまう。
これらの悩みを解決するヒントとなるものです。
この記事を読むメリットとして、
- マスクの着用や椅子の位置など、どうすればいいのかが分かります。
- カウンセリングでは、自分のことだから十分に話していい理由が分かります。
カウンセラーの方も、相談者の方も双方、カウンセリング空間の繊細さについて理解が深まるでしょう。前半と後半は少し話の趣きが変わります。
前半では、コロナ禍のマスク着用を例にして。
後半では、専門家は誰かということを例にしています。
■カウンセリングの場は繊細~マスクと椅子の距離
次のようなツイートをしています。
コロナでカウンセリングスタイルも変わっています。私の場合は【何も変化しないように】やっています。相談者の方は、少し遠ざかったり、マスクをしたり、様々なスタイルを工夫されます。【マスクをすると本音が出ないようで】とマスクを外し、椅子を遠ざける人もいます。カウンセリングは繊細な場。
— しのぶ@ソレア心理 (@soleapsy) August 3, 2020
コロナでカウンセリングスタイルも変わっています。私の場合は【何も変化しないように】やっています。相談者の方は、少し遠ざかったり、マスクをしたり、様々なスタイルを工夫されます。【マスクをすると本音が出ないようで】とマスクを外し、椅子を遠ざける人もいます。カウンセリングは繊細な場です。
なぜならカウンセラーの基本的な態度としては、状況に右往左往されないことを、目の前の相談者に見せるという使命(?)があります。それを見せたうえで、状況に応じて柔軟に対応することが必要なのです。
口元を隠すと怖がる相談者も多いので、そのへんは臨機応変にカウンセラーはマスクをつけたり、外したりするわけです。
- 例えば、カウンセラーの場合、マスクはしないで、普通のカウンセリングスタイルで臨みます。
- 必要なら離れてもかまいませんよ、というムードを出します。
- 結果的に、離れる人もいれば、マスクをつけたまま話し出す人もいます。
- 相手が怖そうなら、こちらもマスクをつけます。
- 例えば、相談者の場合、マスクをつけたまま話す人、取って話す人、いろいろです。
- 相談者のやりたいように、自由にやってもらうのが一番ですが、そこまでいくまでに信頼関係が必要です。
つまり、マスクや椅子の距離の問題は、ささいなことのように見えますが、カウンセラーと相談者の関係を計るリトマス試験紙になるのです。
このご時世だから、マスク着用して安全性をアピールするのがいいというカウンセラーもいるでしょう。
カウンセラーも自己防衛すべき、そういう【自分で自分を守る】態度を示すのも治療的という方もいるでしょう。
もっともな意見ですが、それは両者の納得の上ですべき話で、まずは、カウンセラー側が【いつもと変わらない態度で臨んでいる】という安心感を与えることが第一と考えます。
これがベースにあって、その上で、カウンセラーが柔軟に次の行動に出る、というのが良いのではないでしょうか。
■専門家は誰か?と問い続ける
次にコロナ禍だけでなく、一般的な話になりますが、カウンセリングの場が繊細なのは、面接場面では、相談者ーカウンセラーの関係がクルクルと入れ替わることがあるからです。
次のようなツイートをしています。
インターネットやSNSで知識を得たり、研修や専門書から深い知識を得たりするのは悪くはないでしょう。しかし、専門家である以上、その道の専門家と深く交流するのが一番。心理職にとっては、【その道(症状)の専門家】とは、目の前の相談者です。ということは、面接そのものがあなたの資産になる。
このツイートのように、カウンセリングの場では、クルクルと【専門家が入れ替わる】のです。だからこの瞬間は誰が専門家なのかという視点を、カウンセラーが持ち続けることが必要なのです。
その視点をカウンセラーが持つことで、そのムードは相談者に必ず伝わります。その結果、相談者は自由に自分の症状を話すことができるようになります。それはカウンセラーにとって、治療していくうえでの重要な情報になります。
その症状について、相談者に詳しく教えてもらえるのは、なぜカウンセラーにメリットなのかを具体的に解説します。
- 例えば、対人恐怖の訴えをする人がいます。
- よくよく話を聴いていくと、知り合いになってからが恐怖が増していく話が語られます。
- そして、しばらくすると、その人が虐待のことを語り始めます。
- 虐待されたことと、対人恐怖に関連性が見えてきます。
- この知見はカウンセラーの資産になり、他の被虐者を助けていきます。
この教えを乞うという態度は、カウンセラーを謙虚にさせて、相談者とのより良い関係を強固にするでしょう。
これはナラティブセラピーの無知の姿勢 (*1)につながるものです。
■無知の姿勢 (Not Knowing)
家族療法の一つにナラティブアプローチがあります。難しくいうと社会構成主義ともいわれます。
「現実(社会)を作っているものは人間関係である」ということ。つまり人間関係を離れては社会というものは存在しないのです。だから、人間関係の物語を聴き続けることが治療的でもあるのです。
このときカウンセラーは、心理学の理論に囚われることなく、目の前の相談者の話を何も知らないクリーンな状態で聴き続けること。「謙虚」に聴き続けること。さらに進めると、教えを乞うのです。これを「無知の姿勢」といいます。「クライエントこそ専門家である」の名言はここから来ています。
この無知の姿勢で聴き続けることで、相談者の物語についての深い理解が得られます。「オープン・ダイアローグ」はこのナラティブアプローチから派生したものです。
■まとめ
カウンセリングルームというのは、繊細な力学関係が常に働いているのです。基本を守りつつ、柔軟に対応していくことが必要です。
例えば、今回は触れませんでしたが、贈り物をもらうということも繊細なやりとりになります。教科書的には断るのですが、杓子定規な対応では関係を壊すこともありえるわけです。精神科医の神田橋條治先生は、治療が済んでも年賀状のやりとりなどは継続しなさいと言います。
そんな微妙な関係が渦巻く空間で、専門家という立場も、クルクルと変化するのです。その関連でナラティブセラピーの無知の姿勢について話しました。
良いカウンセラーに出会って、カウンセリングの空間が、ご自身の安息の場になりますように。
Reference:
(*1) Harlene Anderson: Conversation, Language and Possibilities, New York Basic Books, 1997
ハーレーン・アンダーソン/ハロルド・グーリシャン/野村直樹: 協働するナラティヴ, 遠見書房, 2013
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