カウンセリングルームという特別な空間に漂って紡がれる物語たち

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前回は背後の空間について話しましたが、カウンセラーの後ろには何があるのでしょうか。カウンセラーはカウンセリングルームに居る存在なので、カウンセラーの後ろというのは、カウンセリングルームがどこにつながっているのか、という話にもなります。

こんな話をされた方がいます。こういう話をされる方は時々いて、ニュアンスや設定は色々と違いますが、皆さん、カウンセリングルームは特別な場所だと言います。あの世へ続いている場所、とも。話を終えると、この空間への扉が閉まってしまう、もうカウンセリングルームの入口がどこか分からなくなる、とも。

カウンセリングルームには、日常にないもの、社会にないものがあります。ここへ来ると、誰かの霊とへその緒で繋がっているような安心感があります。連帯しているような、やわらかな子宮の中にいるような。カウンセリングルームには相談に来る人たちのノートがぎっしりとあります。(現在進行中のカウンセリングのカルテと相談記録のノートが実際にあります。)ここは私にとっては図書館なんです。私はその蔵書の一冊なんです。そして、カウンセラーの先生を介して、誰かに話しかけている。それぞれは誰か知らない人々ですが、その誰かの〇〇さんが、ここへやってきて、私につながるんです。

この方がおっしゃるように、カウンセラーの背後、カウンセリングルームの背後に広がっているものは、相談者の知らない、無数の人々が話していった言葉や、流された涙なんですね。そんなものがぎっしりと詰まっている。そういうものって、ときどき私が話している、オキナワの死者の楽園=ニライカナイなのかもしれません。相談室の箱庭の上に座している、あのシーサーが指し示す神々の国です。

そういうものをカウンセリングルームの背後に感じているのでしょう。カウンセリングルームは楽園ではありませんが、この向こうに楽園があることは指し示しているのです。

ある週のカウンセリングでは、動けなくなったと話をする人々が何人かいました。また、先週の動画(ボイジャーの話)を見て、自分は人工衛星というよりも深海に居るような感じだと話をされる人々も複数いました。彼らは同じように感じて動いているのですね。連動している。それは、このカウンセリングルームを通じて、相談者の方々がいつも、幾多のタマシイとつながっているからでしょう。同じ闇の中で同じようなものを視ているからなのでしょう。カウンセリングルームはひっそりとした空間ではあるけれど、決して一人ではないのです。それは動けなくても、海底でひっそりしようとも、そうなのです。

(だから私も安心してお話を聴いていられるのです。)

(だから相談者の方は、安心してご自身の物語を紡いでいけるのです。)

このことは、対面カウンセリングの有効性を示すものです。つまり、カウンセリングルームに直接来ていただいて話すということは、その向こうの世界とコンタクトするためだ、とも言えるでしょうか。色々な事情がありますので、ここへ来れない方もいらっしゃいます。そのような方々へ向けて、私が電話で話すときは、あっちの世界と橋渡しできるよう、より強く意識的に、狛犬になったようにシーサーになったつもりで、話します。実際どのようにやっているかは企業秘密です(笑)。しかし、このような事情で、対面に勝るものはないのでしょう。

是非、カウンセリングルームにお越しください。

蛇足ですが、「深海にいるような」という話をされた方は、着ぐるみ解離をする人です。解離するとき、着ぐるみをかぶってそこから外を見ているような人です。人工衛星の人は体の外側に解離します。幽体分離の感じです。この二つの解離を精神科医の柴山雅俊は、それぞれ体内型離隔、対外型離隔と呼んでいます。深海と宇宙、体内へと対外へと、どこか似ていますね。潜ると飛び出すの違いこそあれ、どちらも同じテイストなんでしょう。

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