埋め尽くされている感覚を求める、そのような傾向が愛着の問題をもった人々には見受けられます。すき間が埋まるように過食したり、スケジュールをびっしりと埋めたりします。それは余裕(すき間)があると怖いからです。
星に願いを
1940年のディズニー映画「ピノキオ」の主題歌です。When you wish upon a star.
夜空にまたたく満天の星。まさに星で埋め尽くされているのです。天の川もぎっしりと水流をたたえて流れていきます。見ていると平和な気分になってきます。畏怖のような恐れも感じたりしますが、それは恐怖とは違います。畏怖なのです。
そのような埋め尽くされている体験は人生を生きる上での潤滑油になります。だから人はどこか遠くの町へ行って、満天の星空を見上げるのでしょう。
今回の話は、埋め尽くされる話ですが、このような畏怖ではなく、恐怖の話です。
すき間を埋め尽くすように過食する
前に摂食障害の話をしました。Eating Disorderは摂食障害ですが、Eating Problem というカテゴリーに入る人がいるという話でした。EPには、カオナシタイプと顔があるタイプに分かれるのでした。
カオナシタイプは母子葛藤のないタイプつまり愛着の切れているタイプでした。今日の話はこのカオナシタイプの人の過食・拒食の話です。通常の摂食障害とは心理的な背景が全く違うのです。
或る人が言いました。私はすき間を埋め尽くすように食べているのです。これはスケジュール帳が予定でぎっしりなっている方と同じことを言っているのです。ぎっしり埋まっていないと怖いからです。すき間があると怖いのでそこが埋まるように食べるのです。怖くてしょうがないから食べる。
普通の過食は、恐怖ではなく、甘えや怒りがあるのです。自分の欲求を満たすために食べるのです。何への欲求かというと母の愛情への欲求です。ママが欲しいわけです。でも食べ物はママの愛情じゃないので飢餓感がダウンしていかない。代理にすぎないからダウンしていかない。だからまた食べる。すき間を埋めるという感じではないのです。
拒食も同じです。愛着障害の人の拒食は、虚で埋め尽くしているわけです。何もないわけではないのです。普通の拒食と同じように見えるかもしれませんが、普通の拒食の人は空っぽゆえの飢餓感が充満しているのです。だから、ちょっとしたことがあると拒食から過食へ転じます。
愛着問題の人の拒食はそういう転じ方をしないようです。虚でうめつくし、食べ物でうめつくす。「埋め尽くす」行為なのです。ですから、カウンセラーがすることは、埋め尽くす必要がないように気持ちを落ち着かせていくことが求められます。
恐怖が軽減されていけば、埋め尽くす必要もなくなり、摂食の問題は潮が引くように収束していきます。すき間つまり余裕を楽しめるようになれば、別の視点に立つことができるようになります。過食も拒食も収束します。このように、拒食から過食に転じるという道筋を通らないのです。
愛着の問題のある方の摂食障害の相談は、ソレア心理カウンセリングセンターへ。
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