シーサーと狛犬と座敷わらしと恵比須★愛着をめぐる生き物たち

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シーサーは幼少期に愛着を交わす養育者がいたのか、という読者の方の質問について考えてみました。調べたわけではないのですが、シーサーも狛犬も座敷わらしも恵比須も、皆同じ仲間たちだと思っています。シーサーと狛犬と座敷わらしはすべて、恵比須に集約されていくのでしょう。みんな、同じテイストを持っているように感じてしまいます。

恵比須伝説は、彼らの運命を象徴している話です。手足のない蛭子(ひるこ)として生まれ、間引かれて河流しにされてしまう。そしていくつもの海を渡って、ある島に流れ着く。そこで神・恵比須に変わっていく。この数奇な運命の物語が恵比須伝説です。

そのような間引かれた神々の導き手が狛犬だったのでしょう。狛犬は神ではありませんが、神からの使者です。こっちだよ、と手招きしている生き物です。シーサーも狛犬と同じ。ニライカナイからの使者なのでしょう。

シーサーも狛犬も座敷わらしも、みんな恵比須の物語の主人公に連なる生き物なのです。三浦哲郎の「ユタと不思議な仲間たち」という小説があります。劇団四季でもミュージカル化されているのでご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。不思議な仲間とは、座敷わらしのことです。東北の片田舎に引っ越してきたユタと交流する座敷わらしたち。生を受けたけれど世に出ることを許されなかった子どもたちの霊です。

彼らの行く末が恵比須なのです。それはシーサーも同じでしょう。シーサーは遥かなる沖縄の御嶽(うたき)、ニライカナイで恵比須に生まれ変わるのでしょう。

このような愛着をめぐる物語はたくさんあります。漫画では手塚治虫のどろろもそうですね。どろろの主人公、百鬼丸は、百の鬼に、百の体のパーツを取られて産まれてきました。まさに蛭子ですね。どろろは、百鬼丸が鬼を倒しながら一つづつパーツを取り戻していく物語でした。

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