摂食ということについて、表と裏と、大きく2つに分けてみました。表のほうは馴染み深い摂食障害です。裏は、なかなか馴染みがないかもしれません。ネットで探すことは困難かもしれません。裏には2つあるように思います。カオナシタイプと非カオナシタイプです。
青春の光と影
1960年代後半、ジュディコリンズの歌でヒットした名曲です。ジョニーミッチェルの楽曲です。Both Sides, Now 時を経て人はまた違った視点で物事を捉えられるようになるという、人間としての成長を歌っています。
心理学的にみたら、そういう人生を送る人は多いですが、そうでない人が相談にやってくることもあります。
さて、摂食障害の表裏というタイトルですが、これはあまりネット上では議論されていることではありません。摂食障害も見方によっては違う視点で見えてくることもある、という話です。ここはBoth Sides, Now ということでしょうか。
摂食障害の表と裏
摂食障害の表の話をします。表とはEDで、Eating Desorder=摂食障害です。こちらは精神医学的な言葉です。拒食と過食です。
裏の話とはEPで、Eating Problem=摂食の問題という私の造語です。食べなさすぎと食べ過ぎです。
なぜこのように分けるのか。それはこの二つは、心理的な背景が違うからです。
千と千尋の神隠しにはカオナシという異界の者が出てきます。彼(彼女かもしれませんが)は湯場に侵入して、千尋を追いかけながら、すべてを飲み込んで巨大化していきます。これはEDという視点で見ると、過食っぽい話ですね。
彼は千尋に金を見せて言うことを聞かせようとするけれど、千尋はいらないとはね付けます。その後、カオナシは過食した後、また過食前の状態に戻ります。
この過食ですが、カオナシは過食というよりも食べ過ぎ、つまりEPの食べ過ぎに入るのではないかと思っています。EDではなさそうに思います。それはなぜそう言えるのか。
過食と食べ過ぎと何が違うのか。それは心理的な背景が違います。
私的には、EPは摂食障害ではないという位置づけです。なぜならEDは基本的には母子葛藤の話です。母との葛藤がベースにあって食べたり食べなかったりするのです。
EPはそれとは違って葛藤はない。カオナシはこっちかなと思います。母子葛藤の人々は母を求める強烈な顔があります。しかしカオナシは顔がないのです。母子葛藤はないのでしょう。ですからEDではない。
ではEPとは何か。2つに分けてみました。カオナシタイプともう一つは非カオナシタイプです。
カオナシタイプは、分かりやすいです。母子葛藤のない人々ですから、つまり愛着の問題を持ったタイプ。カオナシの表情のなさは、母子葛藤すらないことを表現しているとすれば、EDではなくEPです。行動は食べ過ぎたり、食べなかったりで、EDに近いですが、葛藤という視点でみるとEDではないことが分かります。
では非カオナシタイプとは?母子葛藤は経験しているけれど、まだそこを十分に通り抜けることができていない人々なのでしょう。まだどこか引っかかっているというタイプです。もう一つ踏み込むと、母親がカオナシタイプだった子どもたちということになるかもしれません。
EDとEPでは治療方針も当然変わってくるでしょう。まずはEDとEPを切り分けて、EDの人には思春期への対応をベースに行い、EPカオナシタイプの人には愛着への対応がベースになってくるでしょう。EP非カオナシタイプは実存的な自分に出会っていくことです。
摂食の問題は、ソレア心理カウンセリングセンターへ。
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