【怒り】が収まらない原因と対策は?友だちと自然の中で癒されよう!

Hand and sand こころカフェ(最新の心理学)
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こんにちは、高間です。
これまで、のべ2万人の悩みを聴き続けている、マインドフルな臨床心理士です。
この記事は、毎日を健康に生きるエッセンスをお伝えします。

・怒りが収まらなくて苦しい。
・怒りは収まったけれど、さみしくてしょうがない。

そんな悩みを持って生きているあなたに、何かのヒントになればと思い、記事にしました。この記事のポイントは、

  • 怒りが収まらない人は、幼少期から学童期くらいの自分が反応していることが多い。解決策は、自然の中で遊びまくること。(前半)
  • 怒りの問題を抱えた人は甘えたりない人です。さみしさも同時にあります。甘えられる場所、友だちとの交流が重要です。(後半)

■怒りが収まらないときは

Hand and sand
止まらない怒り

どんな感情にもエネルギーはあります。その中でも怒りは最もダイレクトにこころを襲うエネルギーでしょう。この怒りのチカラが半端ない人がいます。次のようなツイートをしています。

大人になってもなかなか【怒り】が収まらない人がいます。また子どもが出来てから怒りが強くなった人もいます。
そういう人は【いったい何歳くらいの自分が怒っているのか?】を思ってみるといいですよ。
結構、幼いかもしれません。3~5歳。その小さな自分をケアしてあげることです。(ツイート改訂)

子どもがギャーギャー言っていると怒りがフツフツと湧いてくることってありますよね。
それはあなたの中の子どもがギャーギャー言っているのかも。大人のあなたが、子どものあなたに向かって、「もっとおとなしくしなさい」と言い聞かせているのかも。
そうじゃなく、自分の子どもと一緒に遊べたらいいね。

幼児期の子どもを言い聞かせるのは大変ですね。ものすごいエネルギー。体全体を使って表現してきますから。ときどきスーパーなんかでひっくり返って、手足をばたつかせて買ってほしいものを要求している子、見ますよね。あれくらいダイレクトに感情を出し、そして受け止めてもらえれば、怒りがこころの中に残ることはありません。

面接で話を聴いていると、大人になってから、止めることのできないくらいの怒りが湧いてくる人は、幼児期から学童期くらいの自分が反応しているように見えます。自分のどこかに第一反抗期(イヤイヤ期)のころの自分の感情が残っているように見えます。そのへんの時期につまずいて、ずっと引きずっているのです。

例えば50歳、60歳になっても、このような怒りを引きずっているとしたら、それは大変なことですね。そういう人は、それが出てこないようがっしりと蓋をしています。その蓋は外さないことです。外すと大変なことになりますから。そのままそっとしておいたほうが身のためです。

しかし、その蓋に気づく人もいます。それは中年くらいになっての違和感として襲ってきます。この中で、その蓋の存在を垣間見るのです。そうやって蓋を見つけてしまった人は、それはおそらく1人ではどうしようもないので、相談にかかるようにしてください。その相談は長い旅になるかもしれませんが、態勢を整えてその道へ進むしかないでしょう。

◇子どもの自分をあやす

イメージ(催眠)療法なんかで、小さな自分をあやすということをやります。インナーチャイルドセッションなんかがそうです。一時はそれで楽になる場合もありますが、一時的なものです。イメージを扱ったセラピーは、長いカウンセリングの中の随所随所で使う価値はありますが、そのくらいのものだと思っておけばいいでしょう。

それよりも、実際の日常場面で、イメージ的な行動をしたほうが効果が高いです。これはPTSDの治療と同じです。つまり【自分から積極的に行動できるようになると、PTSDも治癒が始まっている】という大原則があるからです。イメージ的な行動というのは【象徴的な行動】です。幼かった自分をあやしているような象徴的な行動です。

  • 絵本を読む
  • 農作業(園芸療法)
  • 泥団子で遊ぶ
  • 田んぼラグビー
  • 道草をする

などを、実際に自分でやってみるのです。絵本を自分のために見てみるという行動は、地味に効いてきますよ。おススメです。ソレアのカウンセリングルームの入り口にも、心理の本に混じって絵本は少し置いてあります。個人的にレオ・レオニが多いです(笑)。

また身体を使った象徴的な行動というものは、ダイレクトにこころに響いていきます。土と戯れる、泥まみれの感覚は、こころにたまった感情ばかりでなく、日常のストレスの発散にも効果があります。泥団子や、最近では田植え前の田んぼを使って、ラグビーをやるというイベント(*1)もあるようです。なかなか血の沸きあがるようなイベントだと思いませんか。

◇自然の中で癒されると、怒りが鎮火する

どろんこ保育園。「動物の飼育や田植えなどを通して自然の中で成長する」という保育方針で、数年前に有名になった施設です。設備の不備を多く指摘されて問題視もされていました。その後、各地にその保育理念に似た保育園がたくさんできました。どろんこ保育園をうさんくさいと思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、どろの中で成長するというのは、結構真実だったりします。

どろとは言わず、野山を駆けずり回って遊ぶというのは、子どもにとっては何物にも代えがたいものです。実際、私も中学生になる前は、学校から帰ったら、友だちとほぼ毎日裏山で過ごしていました。家よりも良かったわけですね。学校から帰宅途中も丘のあるところを通るので、道草でも山に入ります。子どもは野山とか道草とか好きですね。そうやって自分でストレスを調整しているという部分はあるでしょう。けれど、自然の中で遊ぶということは、本質的に【こころが歓ぶこと】なのです。怒りと歓びは共存できない感情なので、結果的に怒りが鎮火します。

最近は、キャンプのYouTubeが脚光を浴びていますが、時代は変わっても求めるものは不変です。山や海へ行きましょう!

◇箱庭の砂

この自然と戯れる感覚は、箱庭も同じですね。あれは自然の中での遊びを象徴したものと捉えると、箱庭の芸術療法的側面がクローズアップしてきます。ソレアのカウンセリングルームは、主に箱庭を芸術療法的に使っています。次のようなツイートをしています。

【庭いじりはACに効く】箱庭は砂を触る心理療法です。砂が人に与える影響というのはなかなか奥深いのです。
園芸療法というのもあって、これも土に親しみます。
土や砂というものは人にとって何か遠い昔の感覚に結びついているのです。五感の中でも触感というものは特別で、もっとも古い感覚です。

En la playa de arena; Las palmas de gran canaria, España
砂は 太古の感覚に つながっているらしい

■甘えたい、甘えられない、そして、さみしい

幼児期の怒りを抱えている人は、別の側面から自分を眺めると【甘えたりない】ことに気がつきます。ツイートを見ていきましょう。

甘えたいのに甘えられない状況になってくると、それに追い詰められてしまう人もいます。
それは十分な甘えを知らずに育った人々ですが、どこか安心できる場所が見つかるといいですね。
家じゃなくてもいいので、どこか外にそんな場所が見つかるといい。人によっては小説の中に見つける人もいます。

自然の中で暴れることで怒りのエネルギーは鎮火しますが、なんだか怒りは減ったけれど【さみしさ】も同時に感じるかもしれません。これは、怒りの感情の下には、さみしい感情が隠れているからです。怒りとさみしさは連続した感情だからです。

怒りの感情はやっかいですが、このさみしさも人のこころをむしばみます。このさみしさにも居場所を与えて癒してあげる必要があります。さみしさとは【甘えたいのに甘えられない】感情です。つまり、さみしさを癒すには、甘えられる場所が必要なのです。当然のことですが、さみしいと近視眼的になって、それさえ気がつきません。

そうはいっても、甘える場所なんてそう簡単には見つかりそうもありません。家の外の安心できる場所とは?どこでしょう。まずは、お気に入りの場所を日頃から探しておくこともいいことです。ワークとして、下記の例をサンプルとして、自分にあった場所を書き加えてみましょう。

  • 喫茶店
  • 河川の堤防など広い風景を感じる場所。河口などもおススメ
  • 霊園(空が大きく広がる場所です!)
  • (↓↓ここからはあなたの特別な場所を書きましょう↓↓)

「最近はスマホでSNSができるから、どこでも交流できるではないか」という声もあります。しかしSNSのつながりはとても希薄です。すぐに嫌いになるし、ブロックもする。これは親密な関係とは言えません。SNSは、そんな特性をもった別世界なのです。

個人端末に関しての、島根大学の若宮恵子先生のコメントを紹介しておきます。

  • (スマホは)視覚的なインパクトが強く、感情は動かされるが、文脈や脈絡をさほど重視しないコミュニケーションがどんどん増えている

SNSでのつながりは、感情だけ噴き出して、感覚ー感情ー認知 の共同で動く通常の世界ではないという特質を述べたものです。現代では、SNSはなくてはならないものになっていますが、それがメインになるのでなく、あくまでもサブ的なツールとして【クールに使う】ネットリテラシーの教育が必要なようです。

◇さみしい

Dragon on a wall; Coeur d'Alene, ID, USA
さみしさが 止まらない

さみしい感情は、わたしたちをヒリヒリした思いに突き落とします。怒りもなかなか大きなチカラを持っていますが、さみしさはさらに強大なモンスターともいえます。

親子の問題をひきずって生きている人のこころは【さみしいモンスター】だったりします。
・優等生で
・八方美人で
・弱みを見せずに、生きています
何をするにも完璧にしなきゃと頑張っています。さみしいモンスターは時々荒れ狂います。【分かってくれー分かってくれー】と繰り返し泣き叫びます。

ヒリヒリした強いさみしさを感じる人は、愛着を経験したことのある人です。そして激しい怒りも抱えている人です。
怒り、嫉妬、さみしさは同じグループの感情です。
さみしいと依存症リスクが高まります。
しかし、この強いさみしさに対して手当てできれば、怒りもダウンするというオマケがついてきます。

さみしさというものはセンチメンタルになっている程度なら、それは甘酸っぱくもあるけれど、それが突き抜けてしまうと依存症への道が開きますので注意が必要です。恋愛依存などは、さみしさゆえの最たるものでしょう。分かってほしいという気持ちが最大限に達したとき、相手にこころと体を献上するのです。精神的にも身体的にも気持ちよくなるので、なかなかこの媚薬は抜け出すことが難しいですね。

人は、なんでも手っ取り早いものを探します。日々の生活が辛すぎる場合は、恋愛よりももっとスピーディにぶっ飛びたいと願うこともあるでしょう。そして薬物に手を染めてしまいます。ここまで来たら、ほぼ戻れない橋を渡ったようなもの。ほぼ三途の川に来てしまった感じ。一生治らない、それを背負って生きなければならない地獄が待っているのです。

◇友だちがあなたを助ける

【さみしさを感じた後は仲間に会いに行こう】9月に入ってそろそろ秋風が吹き出す季節です。空を見ているとさみしくもなります。さみしさはセンチメンタルにもなれるし悪くはありませんが、どっぷりとさみしくなった後は、仲間がいる空間に足を運んでみる。
いっそう安心が身にしみます。仲間の意味がわかる。

Stacked coffee cups
懐かしい 喫茶店へ タイムマシン!

戻れない橋を渡る前に、さみしさへの手当てとして【友だち】が存在します。中島みゆきの初期の作品「ミルク32」は、32歳の友だちのバーのマスター「ミルク」との会話を歌にしたものです。友だちの歌はたくさんありますね。キャロル・キングの “You’ve got a friend” もこころに染みる名曲です。

ねえ ミルク またふられたわ
忙しそうね そのまま聞いて
ゆらゆら 重ね上げた
お皿と カップの かげから

ねえ ミルク またふられたわ
ちょっと 飛ばさないでよ この服高いんだから
うまくは いかないわね
今度はと 思ったんだけどな

どうしようもなくなったときの友だちです。親しい友だちというのは出会いのタイミングもあるし、そう簡単には作れそうもないですが、しかし作ろうと思って作れるものでもありません。袖(そで)が触れあっている間に自然に交流が流れだすもの。ムリなくできあがるもの。それが親友です。しかし部屋の中にいては発生しえないものです。さあ、スマホを捨てて、外へ出てみましょう。友だちの威力がいかほどか、ツイートしています。

動物でも植物でも背骨とか芯がないと風が吹くとすぐに折れてしまいますね。人間のこころも同じです。
こころに背骨が通ってないと、何か人間関係で起きたときにすぐ折れてしまいます。
こころの背骨は親との関係の中で作られます。それがうまくできなかった人、諦めなくていいです。

友人がいる!

■友だちがいれば孤独になれる

Latte art
ひとりに なれる しあわせ

甘えたい、さみしい人は友だちに会おうという話をしましたが、これには続きがあります。【友だちに会えたらひとりになれる】ということ。下記のようなツイートをしています。

さみしい人の1つの到達点は【ひとりになりたい】です。
60年代のモンキーズのヒット曲 “I wanna be free” ひとりになりたいは【自由になりたい】です。
つまり、さみしい人は、きっと自由がないのです。
だからまず自由になること。いろんなしがらみや気持ちから自由になること。その風を感じること。

怒りもさみしさも嫉妬も、その気持ちが固着してしまっているから、つまりそこにとらわれて流れることがないので、めんどうなことになるのです。普通、気持ちは固着することなく、すべて流れていくのが楽な生き方です。しがらみなどは、その場で一瞬とらわれますが、すぐに忘れ去り流れていきます。感情がこのように淡々と自由に流れていけば、1つの感情に執着することもないし、それにさいなまれることもありません。

そうなるためには、怒りやさみしさのケアから始めないといけません。そのための友だちでした。友だちができるとさみしさはケアされますので、さみしさに執着しなくなります。それによってあなたは自由になるでしょう。そして【自由というのはひとり(孤独)と同義語である】ことを知るでしょう。次のツイートのような感じです。

1人でいるのがさみしくない人は、自分を分かってほしいという飢餓感も少ないでしょう。淡々としている。どこか人生に満足している感がある。
けれど1人でいるとヘンなおばさんと思われるのが嫌なので、男と付きあっている感じです。
ずっと前、スローなブギにしてくれという小説がありました。あんな感じ。

片岡義男の「スローなブギにしてくれ」は、ツイートで紹介したようなムードのある小説です。南義孝の歌でもヒットしましたね。1980年当時、彼の小説はかなりの人気でした。彼の新しい感じが当時の日本にヒットしたのですね。バブルが始まる前夜の日本の風景です。オートバイに乗りながら、風を切るがごとく、特別な感情につかまっているのではなく、すべて流していく。あのとき白いムスタングから放り出された女の子は、40年たったいまでも、おばさんになってどこかで生きているのでしょう。I want you!

■まとめ

怒りが収まらないときは、【何歳くらいのあなたが怒っているのか?】と考えるといいですよ。結構、幼児期から学童期くらいの自分が反応していることが多そうです。これらの自分をあやすには自然の中で遊びころげるのもいいでしょう。

また怒りの問題を抱えた人は、家族に甘えたりなかったという問題も引きずっています。そんな人は、日ごろから安心できる場所をチェックしておきましょう。

怒りと同時に、さみしさがやってくるかもしれません。そのときは友だちに会いにいきましょう。友だちとの時間を過ごせるようなると、あなたはひとりでいても大丈夫になるでしょう。

自然の中で癒されて、幼児期に押し込めたあなたの怒りが出口を見出せますように

Yellow seahorse

Reference:

(*1)泥だらけでトライ 田んぼラグビーに小学生ら400人, 朝日新聞, 2019 https://www.asahi.com/articles/ASM6J5J8QM6JPQIP02K.html

怒りが鎮火せずどうしようもないときは、ソレア心理カウンセリングセンター(埼玉県)へ

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