フローからみた死ぬということ【与える】は【死ぬ】と同じという現実

Bright autumn leaves on the tops of trees in the blue sky フロー&ゾーン(健康心理学)
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今回の記事は、フローに近い臨床心理の話です。死ぬということについて。心理というより哲学に近いかもしれません。

・毎日死にたくてしかたがない。この苦しみをどうすればいいのか。
・この苦しみがなくなったら、自分はどうなるのか。

そんな疑問を持って生きているあなたに、何かのヒントになればと思います。つまり、

  • 死にたいというテーマはあなたの資産になる
  • そして死の果てにたどり着いた軽みの世界で、何度も死んで生まれ変わる。

■死の話の先には【軽み】が待っている

Bright autumn leaves on the tops of trees in the blue sky
死が軽くなっていくという不思議

死ぬ話は、当然ですが重くなりがちです。カウンセラーはそれを軽くしようとせず重いまま、その話に並走します。その時間が、相談者をしだいに軽みへ導くでしょう。すると潮がひくように、死が遠ざかります。次のようなツイートをしています。

死にたいと思う人。それを語っている人は、いま生きています。まだ気づいていませんが、その重いあなたは、資産ですよ。資産とはあなたの倫理基準のベースになるということです。いまは重いだけですが、いつかこの死というものを取り入れた【軽み】へ到達すると、ブレないあなたと遭遇するでしょう。

人にとって最大のテーマは、おそらく【死】です。古来から不老不死を願って生きてきた人間。テーマとしては永遠のテーマです。だから死にたいところで生きている人は、毎日そのテーマに向き合っているわけです。このテーマはしんどいですが、その時間は無駄ではないのです。

死ぬことばかり考えていると、死神に取りつかれると例えられることがあります。そのように妄想的になることもある危険な領域であることは、間違いありません。人によってはそのまま死へ直結することもあります。

しかし死をベースにした生き方にまでなってくると、死というものを客観的に見ることができるようになります。いわゆる死生観にまで昇華していくわけです。

それは何かそういう本を読んだから理解した、というのではなく、あなたの自身の中から、死生観が自生してくるのです。これが倫理基準のベースということです。これによってブレない自分が産まれ、それに従って生きる自分を観ることができるでしょう。それは、ある意味、とても【軽い】自分です。ブレないというのは、【どっしりと軽い】。

死から気をそらすという心理療法もあります。認知行動療法ですね。たしかにそれも悪くないでしょう。一時しのぎというのも使い勝手がいいし、私も一時避難については賛成ですし、そういうカウンセリングをすることもあります。

でも、しばらくすると相談者が、そこから離れて死のことを話しだすことがあります。まるで死に魅入られたように。そこでカウンセラーはビビらないこと。しっかりと相談者の死に向き合うこと。

その果てには、どっしりと軽い感じが待っていることを信じながら。

■死の軽みの話~1つ与えることは、1つ死ぬこと

The Keyhole in the Carina Nebula: NASA/JPL-Caltech/ESA, the Hubble Heritage Team (STScI/AURA)
万物は、生まれて消滅する

死にたいという気持ちがなくても、毎日生活しているということは、毎日死んでいるのです。これは、上の話の続き、死の果ての軽みの話です。次のようなツイートをしています。普通の人は、このように意識せずに毎日死んでいます。

Giveとは自分の命を破壊し他人へ捧げることです。だから1Giveすれば、あなたの命が1Lifeなくなるのです。受ける側も、そのことが分かっているので、1Takeすればいつか1Return返そうと思うわけです。1Returnは1Giveですので返す方も1Life失います。これが死んで生き返る【死と再生の循環】です。

このように、人間関係というのは【命のやりとり】なのです。こうやって100万回生きて死ぬのが、この世界なのです。毎日死んでいると思うと、時間の使い方や行動が変化するかもしれませんね。

宮澤賢治の詩集「春と修羅」(*1)のプロローグです。

(わたしという現象は)
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

忙しく明滅しているというのは、生まれて滅ぶことを何度も続けているということです。何度も死んで、何度も生まれる。まるで宇宙の創生期を表わしてもいるようです。様々な量子が生まれて消滅していく。

そして、この賢治の詩には、人間関係のドロドロとしたものを越えた趣きがあります。人間関係を説明しながら、人間関係から遠くにいる感じ。俯瞰しているが、それ以上の芸術的領域。

これは賢治の独特の世界観によるものですが、そのあっさりした感じに、私たちはホッとする感覚を得るのでしょう。生きる死ぬというヘビーな感じがない。これが先ほどの【軽み】と似た感覚なのです。100万回死んでもヘビーにならない。それがどっしりと軽い感覚なのです。

佐野洋子の絵本「100万回生きたねこ」(*2)は、十分に生きていないから何度も生き返るねこの話です。そして最後の人生を、自分で選択し、十分に生きられたので、二度と生まれ変わることはなかったというオチがあります。

このねこのように、わたしたちは、小さく毎日死にながら、最後には、自分の人生をまっとうして生まれ変わることなく死んでいくのでしょう。

ですから、毎日死ぬことに躊躇することはありません。そうやって生きていれば、あなたなりのハッピーエンドを迎えて死ぬことができるでしょう。

また、10Giveしても10Take返ってこない場合がある。それは真実です。しかし、これは問題ではありません。なぜなら【毎日死んでいるから、前のことは覚えていないから】。つまり、過去に執着していないのです。すると、生きることへの執着が消えます。

何回も死んでいれば、そのうち1つのリターンがあるかもしれませんね。ギブしたことは忘れてしまっているので、それでいいのです。毎日求めていないからそれでいいのです。死ぬとはそういうこと。軽い感じです。

■まとめ

死は重いテーマですが、それがあなたの資産になってくると、軽みへ到達してブレない自分に出会えます。

その先には、毎日死んで生き返るという【軽み】に生きる風景が見えてきます。そうやって人生を軽く生きていると、生きることへの執着が消え、最後には幸せに死ねます。どうせなら、ハッピーに死にましょう。

死の苦しみの中をいま生きているあなたが、長い苦しみを経て、死の軽みへ到着することを祈っています。

Salmon run
さあ、流れていきましょう。今。

Reference:

(*1)宮澤賢治:春と修羅, 1924
(*2)佐野洋子:100万回生きたねこ, 講談社, 1977

死について誰も聞いてくれないときは、ソレア心理カウンセリングセンターへ

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