・死にたい、あるいは
・消えたい
と、表現する人が、愛着障害かどうか、それを見立てる必要が、治療者にはあります。
この記事では、相談者が愛着障害なのか、愛着不全なのかを知るための視点を3つ提供します。
・儚さ(はかなさ)
・ひとり
・見捨てられ感のゆくえ
日々の臨床のお役にたてれば幸いです。
儚さ(はかなさ)
愛着障害の人は儚い感じがあります。儚いという漢字の通り、それは夢なのです。「人生は夢」と書いて「儚い」。愛着障害の人は、その(悪)夢のような人生、そのものを生きているのです。
消えたい
精神科医の高橋和巳先生は、愛着障害を扱った著書「消えたい」(*1)の中で、愛着障害の人は「消えたい」と言う、死にたいとは言わない、と言っています。
これは分かりやすい表現ですが、この説明は、愛着障害を分かりやすく表現した比喩だと思っています。そういう傾向がある、ということです。
実際の臨床現場では、愛着障害の人も、そうでない愛着のたっぷりある人(愛着不全と呼ぶ)も、死にたいとも、消えたいともいいます。両方言います。
注意するべきは、消えたいというか、死にたいというか、それは表現上の問題であり、その背景に、「儚さ」があるかどうかを見極めることでしょう。
愛着障害の人の背景には「儚い」があり、
愛着不全の人の背景には「生きたい、せつない」があります。
ひとり
愛着障害の人は、孤独(ひとり)です。人生をずっと一人で生きてきたそのムードが漂っています。誰かを求めない、そんな感覚です。
表面的に求めているように見えるときもあります。脱抑制型対人交流障害の人々です。彼らは真の愛着ではなく、無差別に愛着を求めているので、ひとりでないように見えます。実際は濃密な関係性を拒否して、多数の人を渡り歩く、つまり誰かを求めているわけではないのです。
愛着障害の人の背景には「ひとり」があり、
愛着不全の人の背景には「みんな」があります。
見捨てられ感の行方(ゆくえ)
愛着障害の人でも、見捨てられて不安だという人もいます。基本はひとりなので、その見捨てられ不安のように見えるものも、見捨てられ感のようであってそうではないのです。
見捨てられて、ひとりに戻る、という感覚です。あぁ、またひとりになったな。そこには切ない、苦しい感覚はありません。非常に淡々としています。
その昔、Gilbert O’Sullivan の Alone Again (Naturally) という歌がヒットしました。またひとりになってしまった、当然だね。あの感じです。
愛着障害の人の背景には「ひとりに戻る」感覚があり、
愛着不全の人の背景には「みんなを希求する」感覚があります。
以上が、カウンセリングルームの中で多くの愛着障害の人と出会って学んできたことです。
まとめ
死にたい、消えたい、という表現に着目するだけでは、相談者のこころの背景を読み落とすことがあります。その、死にたい、消えたいという言葉の背景をちゃんと読み込んで、適切なカウンセリングをしてください。
「死にたい」に多い背景
・生きたい、せつない
・みんな
・見捨てられ感は、みんなを希求する感覚
・愛着不全(親への愛着はあるがねじれている)
「消えたい」に多い背景
・儚い(はかない)
・ひとり
・見捨てられ感は、ひとりに戻る感覚
・愛着障害(親への愛着はない、あったとしてもそれはファンタジーにすぎない)
Reference
*1)高橋和巳:消えたい, 筑摩書房, 2017
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