父はクリスチャンでした。私もクリスチャンでした。父は教会に毎日曜日通っていました。
母は子どもっぽくて話が通じないところがありました。ある日、母が父のことをとてもひどく言うので、「それじゃあ使用人じゃない」と私が言うと、母は少し考えて「下僕だね」と言い放ちました。私はそのとき、私の家族の成り立ちをすっかり理解しました。自分のこともそうなんですが、父も、この母のことで長く苦労してきたのか、と思ったら、涙が止まりませんでした。
父が教会へ毎週行くのは、休むためだったのかと分かりました。私は父と、幼いときイヤイヤながらも教会へ通いましたが、教会で見違えるような表情で、イキイキとオルガンを弾く父を見て、そんな父に反発も覚えていました。でも、母の下僕発言で、父がそうやって教会で自分を取り戻すことで、何とか生きる道を見出して、家庭に帰ってきたときに、私たち家族を守ってくれる活力にしていたのだと分かりました。
宗教へ傾倒する人は、つらいことがあってそれを信心へ向けて乗り越えたいという意味があると思います。父親もそれがなかったかというと分かりませんが、この方の言うように、このように環境を変えて一息つく場所であることもあるのでしょう。父親が求めた癒しの場所が教会だったのです。
ひょとすると、別に教会でなくてもよかったのかもしれませんが、宗教が身近にあったということでしょう。そうやって信仰している人もいます。人は様々で、それでいいのです。