【親子関係が最悪!むかつく、さみしい、でも愛しい】こころの親が消えると楽になる

Baby holding hands with mother愛着とトラウマ(虐待)
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・親子関係が最悪だが、どうしても親に期待してしまう
・いつもさみしくて、むなしくて仕方がない。

そんな気持ちを持って生きているあなたに、何かのヒントになればと思い、記事にしました。この記事のポイントは、

  • こころの親が消えていくと楽になる(前半)
  • 親子関係が原因の「さみしさ」について。ムーミンに登場する魔女「モラン」を例にして解説します(後半)

■こころの親が消える

親子関係で悩んでいる人は多いですね。そのために親から距離を取っている人もいます。早くに結婚する人もいます。親から逃げるために。そんな人のこころが安らかになるときが来るのでしょうか?次のようなツイートをしています。

親との確執によって別居していた人が、同居しても大丈夫になるときがあります。不思議なことですが、これは【心理的な親が消えつつある】のです。実際の親はそこに居るが、それは形式だけ、ということです。心理的な親にさいなまれて苦しさを味わう人は多いですが、それが消えることがあるのです。

親子関係が悪い場合、自分の中から親が消えれば、親子関係の苦しさも(当然)消えます。

これは、実際に親が死ぬとか、距離を取るとかの話ではなく、【こころの親】が消えるということを指します。わたしたちには、物理的な親とこころの親の2つの側面を、親に対して抱いています。そして重要になってくるのは、【こころの親】です。

◇こころの親とは対象恒常性のこと

Baby holding hands with mother
あんしんな ふうけい

子どもは3歳くらいになるまでに【こころの親】を形成します。これを対象恒常性の獲得ともいいます。ハンガリーの児童精神科医マーラーの分離個体化理論です。なんかお堅い用語ですね。やわらかく表現すると「こころの親ができるまで」の話です。

生まれたときは母親と一体化していた自分が、身体的に自立するまでの過程をまとめたものです。ここで「心理的に自立するまでの過程」と説明されることもあるようですが、心理的な自立は、この段階では成されません。これは思春期まで持ち越されますので、乳幼児ができるのは「身体的な」自立までです。イヤイヤ期をすぎて自己主張はできるようになりますが、心理的には親の領域から出ているわけではありません。

分離個体化理論を簡単に説明すると、

  • 未分化(4か月まで):母親と自分は一緒の生き物であると思っている
  • 分化(8か月まで):母親と自分は違う生き物だったと気づく。自分を世話してくれる母にだけ興味があって、他の人には興味を示さない「人見知り」の時期
  • 練習(14か月まで):歩行できるようになり母親から身体的に分離を図る練習をする。母が視界にいないと気づくと分離不安になるが、母親との情緒的な交流を通して、母親を安全基地と認識する。
  • 最接近(24か月まで):活動が増大化する。母親から分離するので、分離不安も高まり、見捨てられ不安が出てくる。それを解消するために母親にしがみつく。これを繰り返していくうちに、基本的信頼感が形成される。つまり、他人は信用できるし、自分も信用できるようになる。
  • 個体化(35か月まで):母親から分離が成立する。母親が居なくても大丈夫感が育ってくる。
  • (情緒的)対象恒常性の確立(36か月~):自分を守ってくれる母親、父親、祖父母などの安定した心的イメージが形成されて、そのイメージによって、分離不安や孤独への耐性ができ、1人で意欲的な行動をすることができる。

こうやって生まれてから3年以上かかって、こころの親を作っていきます。いつごろかという期間はだいたいの目安です。人によって成育環境によって変化します。

こころの親ができると、次のような感覚がこころの中で育っていき、社会の荒波を超えていけるのです。

  • どんなことがあっても自分の味方になってくれる母性
  • 不安になっても大丈夫と思える父性
  • 自分の仲間、味方がいるという仲間感覚

◇ではこころの親が消えるとは?

この対象恒常性がしっかりしていれば、親子関係は問題ありません。だから、こころの親が消えることもありませんし、消える必要もありません。

問題は、こころの親が育っていない人です。こころの親が中途半端で座礁してしまっている人や、もともとこころの親などが存在していなかった人にとって、この【こころの親】問題はやっかいなことになっています。

  • 通常の人にとって親とは、【愛しい】存在です。これは不変のものです。普通の人だが、愛着不全(愛着はあったが不完全だった)の人にとっても、親は愛しいものとして存在しています。
  • 愛着障害の人にとって親とは、【恋しい】存在です。
  • こころの親は、愛しい⇒恋しい⇒消える という順番で消えていきます。
  • 愛着不全の人にとっては、「愛しい⇒恋しい」ここのハードルを越えるのが大事業なのです。「恋しい⇒消える」はハードルが、意外と、低いです。

■愛しいということ、恋しいということ。

Heartbreak balloon and girl wall artwork
さよなら ぼくの きもち

親が消えるとは、愛しい⇒恋しい⇒消える という順番でした。ここをもう少し深堀りします。次のようなツイートをしています。

【母は恋しい?母は愛しい?】愛しいという気持ちは、両者が愛着でつながっているときに発動される気持ちです。それに比べると、恋しいは違いますね。恋しいは一方的な気持ちですからつながってなくてもいい。普通の人は「母は愛しい」。その安心があるから喧嘩もできる。恋しいだけでは心もとない。

このツイートで明らかなように、「親⇒母親」になっています。この理由は、親が消えるという表現をとったとき、ここでは【親=母性】と見ているということです。なぜなら愛着形成は母性に対して行われるからです。このツイートの母を母性に読み替えていただくともっと分かりやすいでしょう。

母性は恋しいわけではありませんね。母性は愛しいのです。それが、恋しいレベルにトーンダウンすれば、ずいぶんと親子関係も楽になるのです。それでもまだ、「恋しい」ので、トーンダウンしているとは思いにくいでしょう。

しかし、恋はいずれ冷めていくもの。ひと夏のもの。それに比較すると愛は永遠、というでしょう。そのくらい、愛しいと恋しいの間には開きがあるのです。

母性を求める気持ちを、愛しいから恋しいにトーンダウンさせるわけですが、恋しい気持ちには、まだ期待感がたっぷりあります。だから追い求める気持ちもたっぷり。母性を追い求めます。そして裏切られたときのガッカリ感もたっぷり。死にたくなるほどです。

しかし、思い出してください。もう「愛しくはない」のです。恋しいだけです。恋しいから、さみしさもいっぱいなのです。それは永続的には続きません。ひと夏のもの。

この感情の揺れは幾度もやってきて、そして最後には消えることを体験するでしょう。そこまでくると心理的な親(こころの親)が消えるのです。親子の関係が楽になります。こころの親が消えれば、もう期待しなくなるので、たとえ同居したとしても、心理的に大したことは起きないのです。

こころの親が消えると、こころもとないと、まだまだ納得いかない人もいるでしょう。人によっては代理の親を立てて、そこに「恋しさ」を求めることもあるでしょう。それがいいことなのか、悪いことなのか、それは私には、判断できません。「ただ、私はこう思うよ」という意見しか言えません。

そこは、おそらくカウンセリングというものを超えてしまっている部分かもしれません。セラピストが、そこに何か違和感を覚えたとしても、それが当事者にとっての救いにつながっていくのであれば、それでもいいのでしょう。セラピストが経験則で、それはちょっと違うと思ったとしても、その違いやズレについては、こだわらなくてもいいのでしょう。セラピストの人は、そんなこともちょっと思ってみてください。

■さみしい人は、親子関係が最悪

こころの親が消えるということ、恋しい気持ちが後退していくことについて話しましたが、恋しい気持ちと密接しているの気持ちとして「さみしさ」があります。

ここでは、さみしさの正体について、複数のツイートを解説します。さみしさというのは、それだけ皆さんが日常で感じる気持ちだということです。このさみしさを通過していければ、恋しい気持ちもトーンダウンしていき、親が消えるでしょう。

親子の問題をひきずって生きている人のこころは【さみしいモンスター】だったりします。
・優等生で
・八方美人で
・弱みを見せずに、生きています
何をするにも完璧にしなきゃと頑張っています。さみしいモンスターは時々荒れ狂います。【分かってくれー分かってくれー】と繰り返し泣き叫びます。

こうやって母性を求めている、さみしさモンスターです。このモンスターはムーミンにも出てきます。【モラン】です。

◇モラン

モランはムーミン谷の住人から恐れられている女の魔物として描かれています。いつもひとりぼっち。冷気をまとって、彼女が歩いたあとは、草木が凍り、霜柱が立つほどです。岩のように巨大なモラン。それは母性を求める気持ちが巨大すぎることを象徴しているようです。

このモランはランタンの灯りなどの輝く、明るく、温かいものに惹きつけられます。「輝く、明るく、温かい」まるで母性そのものですね。ムーミン谷の住人は、このモランを恐れますが、危害を加えるわけではなく、危険ではないのです。ムーミン一家は、このモランのことをかわいそうだとも思っています。

「ムーミンパパ海へいく」(*1)は、ムーミン一家がムーミン谷を離れて、無人島に行く物語です。ここでモランがムーミン一家を追いかけてやってきます。そこで、ムーミンが明るいカンテラをモランにかざします。モランは、明るいものが好きなので、それを見ると落ち着きます。しかし、灯油がなくなってしまい、カンテラに灯りをともすこともできなくなりました。そんな状況でも、ムーミンはモランに会いに行きます。

モランはムーミンの気持ちを理解します。こころから喜びます。するとモランの冷たさが消えていき、モランの周辺が凍ることもなくなりました。

モランは、母性に出会ったから荒れ狂うさみしさが納まったのでしょうか。そういうこともあるかもしれませんが、ここはムーミンママではなく、ムーミンとの関係でモランのこころが変化しているところにキーがあります。つまり母性の欠乏を癒すのは、代理の母性というよりも、友だちということでしょう。レオレオニのカメレオンの物語(*2)と同じテイストかもしれませんね。

モランの話は、母性の欠乏を納めるのは、また別の母性ではなく、【仲間】なんだということを教えてくれます。絵本は、そのような真実を我々に教えてくれるのです。

ヒリヒリした強いさみしさを感じる人は、愛着を経験したことのある人です。そして激しい怒りも抱えている人です。怒り、嫉妬、さみしさは同じグループの感情です。さみしいと依存症リスクが高まります。しかし、この強いさみしさに対して手当てできれば、怒りもダウンするというオマケがついてきます。

怒りのコントロールより難しいものは【さみしさ】の対処です。さみしさは怒りに近い感情だけあって、強いエネルギーを持っています。それを収めるために、強い依存物質が必要です。そうです。さみしさは【依存症】の遠因なのです。さみしいときに酒を浴びるほど飲むことを考えれば納得ですね。

さみしさはどれだけ強力なのか、という話です。依存症もままならない、くらいのパワーを持っています。そして、このさみしさがやっかいなのは、怒りの感情と近いところで感じているということです。ということは、さみしさというのは怒りにもすぐ転化する可能性があるのです。

ですから「さみしさを癒す」と一口でいいますが、それはそのさみしい人の怒りも同時に引き受けるという覚悟が必要ですよ、ということです。先のモランの話でいうなら、ムーミンはそこまで引き受けようと覚悟を決めて彼女に会いにいったのでしょう。でも、漫画「ワンピース」を見ると分かるように、仲間だからできるんですね。そういうことが。

【さみしいと訴える人】の中で、その寂しさを聴き続けていると、その寂しさは底なしではなく、ちゃんと底があって浮上する人もいます。一方、どんどんと沈み込んで、寂しさの果てのような二番底まで行く人もいます。これらの人は見立てが違います。前者は底についてからが勝負。後者は底へ着けば浮上のみ。

さみしさにも底はあるという話です。無限底のように見えたとしても、いつか浮上するから。だから、友だちでも対応できるのです。何も母親にならなくてもいい。それは事実です。ヤンソンやレオニは、児童文学でそれを示しています。だから、心理臨床家は、安心して覚悟を決めていけるのです。

Holding the glowing crystal
いつかは そこから ぬけるときが くる

新しい親を求めるのであれ、自分で自分を癒すのであれ、あなたの母性を求める旅が、いつか終わりますように。

Reference:

(*1)トーベ・ヤンソン:ムーミンパパ海へいく, 講談社, 1965
(*2) レオ・レオニ:じぶんだけのいろ-いろいろさがしたカメレオンのはなし, 好学社, 1975

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