所属感というものは人間の生存のためには必要不可欠な要素であると心理学では言われています。それがないとなると過酷な人生が待っていますが、その中をサーフィンして生きている人もいます。その名は、スナフキン。
マズローとアドラーの社会的欲求
どこかに所属しているという事実は、人間の欲求としては重要な一つです。
マズローの5段階説というのがあり、生理的欲求→安全欲求→社会的欲求→承認欲求という順に欲求が満たされていきます。これらは欠乏欲求と言って、生存には必要とされるものです。この社会的欲求の中に「所属意識」というものがあるのです。
ちなみに最上位には自己実現欲求というものがあり、これは成長欲求と言われるのですが、まぁ、これはどうでもいいでしょう。お好きにどうぞ、という感じです。臨床には関係ありません。
日本では人気のアドラー、嫌われる勇気でヒットしていますが、彼の理論の中でも所属というものは重要な位置を与えられています。
アドラーも5つの基本的な前提というものを想定しています。アメリカ人にとって5というのはマジックナンバー、座りの良い数字なのでしょうか。主体性、目的論、全体論、社会統合論、仮想論が、その前提となります。そして「目的論」に、心理学的には人間というものは所属という目的のために行動すると仮定されています。
また彼の共同体感覚や自助グループという概念も、所属の一味ですね。所属していないと共同体やグループは作れないわけですので。マンガ「ワンピース」の中心フレームの「仲間」もアドラー的なのでしょう。
私には私の学校という言葉がない
私は小さい頃から、どこかに所属しているという感覚がありませんでした。それは何かとても気持ち悪いことのように思えていました。居心地が悪い。でも、子どもたちは言うんです、「うちの学校」、「うちの会社」と。私には絶対に言えない言葉です。どこかに所属したいと思わないので、いつもフラフラしています。良く言えば自由、悪く言えば仲間はずれです。
この人は愛着の問題を生きた人ですが、この人にはうちの学校という言葉はありませんが、子どもたちにはその言葉がちゃんとあるのです。この人がちゃんと愛情をかけて、子育てをしてきたということですね。この人自身は、養育者とその関係を結べなかったわけですが、子どもたちとは結べた。それは本当に良かったことでしょう。
別の人は、ふるさとという言葉はありません、と話します。これも上で紹介した人と同じですね。
これらの言葉がないのはスナフキンも同様です。彼は、ムーミン谷の住人と日中は交流していますが、夜になるとひとり谷から離れ、山の中腹に「一人用」テントを張って一人で過ごします。彼にも、僕の学校や会社や故郷はないのでしょう。ないけれど、ひとりだけど、彼は不幸ではありません。
自分のことを、人工衛星、深海魚、潜水艦に乗っているという表現をされる人々も、所属感は希薄です。
所属感の中を生きられればそれは楽なことでしょう。けれど、そういう言葉がない人は、その言葉を使わずに別の言葉を使っていく。その別の言葉を見つける旅がカウンセリングと言えるのかもしれません。そして、それは確実に見つかるものであると、私は言いたいのです。
所属感を取り戻したいときは、ソレア心理カウンセリングセンターへ。
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