愛着は理解しているけれど少しズレた行動をとるペリカンと、愛着を結びにくい(フワフワしていない)動物に惹かれる被虐者の話です。
ペリカンのカッタくん
そんなタイトルのというマンガ・映画があるそうです。1985年に山口県の動物園の飼育員が人工ふ化させたペリカンです。ペリカンの里・カルカッタから取った名前らしいですね。
そこにはカッタ君のエピソードが多くありますが、私の印象に一番残ったものが、餌をあげるときのカッタ君の行動です。自分の子どもに魚を捕ってきて、それをそのままあげようとします。子どもに食べ物をあげたいというところは愛着関係が成立しています。しかし小さく噛み砕いてあげるということができない。そこがカッタ君の経験不足なのです。
飼育員から愛情をもらって生きてきたので、自分の子どもにも愛情をもって接することはできるのですが、それを自分のくちばしでもう一つ細かくしてあげるという経験がないのです。ペリカン界の常識がないのです。母親に育てられていればこういうことはなかったでしょう。
愛着はあるが経験がない。これは人間世界なら、被虐児の話と同じです。子どもには愛着は向けられるが、日常生活は常識からズレタことをやってしまうことがある。少し前に配信した経験不足のYouTubeと同じことでしょうか。
ミドリガメ
カッタ君の話をしてくれたのは、被虐(虐待されて生きてきた)の方で、数年前に知人から小さなミドリガメをもらったそうです。それを育てていたらこんなに大きくなったんですと言う。今、猫に興味があって、私はミドリガメは育てられるけれど、猫は大丈夫かな、飼ってみたいけど、あのフワフワ大丈夫かなとおっかなびっくりです。
普通の人はフワフワはあったかいし心地がいいのですが、被虐の人はそれが怖いという人もいます。クラゲが好きな人もいますね。クラゲは触れません。それが良いといいます。そのくらいの距離感のが怖くないといいます。
前にハリネズミを飼っていた被虐の方がいました。ハリネズミはフワフワしないです。針ですから。こうやって肌感覚から遠いところで愛情を感じながら育てていくというのは、その人々特有の人生の作り方で、良いと思います。
ただ被虐の人は回復していく過程の中で、フワフワも大丈夫になっていきます。そちらのほうが暖かいということに気づいていきます。おっかなびっくりだけど、そうやって基盤を少しずつ作っていかれるのです。
安全な空間の中で傾聴され、愛着を回復したいときは、ソレア心理カウンセリングセンターへ。
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