愛着障害は死なない。生きのびる【休まない、タフで、甘えがない】

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精神科医の岡田尊司先生が、死に至る病~あなたを蝕む愛着障害の脅威という本を出しました。本の内容についてはさておき、まずこのタイトルについて私の思うところをお話しします。

今日の私のメッセージは「愛着障害は死なない」です。ちょっと岡田先生と違う感じでしょうか。確かに愛着障害は、死というものと近い場所に居ます。それはまぎれもなく、その通りです。しかし、死に至るかというと、それはちょっと違うのではないかと思います。岡田先生が愛着障害の治療を続けていらっしゃるのでしたらお分かりと思いますが、死に至る直前で、ギリギリのところで「休む」ことなく活動を続けている人々に出会っていると思います。

そうですね。愛着障害とは「休まない病」なのです。それに死というのは永遠の休憩になりますから、死というところに近いところに居ながら、死から遠いところにもいるわけです。休んではいけない。うつになって死ぬことさえ許されないところに居る。死ねない病というべきでしょうか。

彼らの辞書には「休む」とか「楽になる」とかの言葉はありません。ですから、ずっと働く。その結果、慢性疲労や燃え尽きや重度のうつになることはありますが、それでも彼らは働き続けます。動き続ける、というのが正確な表現かもしれません。そのためADHDと誤診されることもあるでしょう。

しかし治療室へ現れる愛着障害の人々は、実際、動けない人も多いです。これは何なのか。今は動けないかもしれませんが、彼らは元々よく動いていた人々です。動いていないと生きていけなかった人々です。そのため、自分の生命エネルギーが尽きかけて初めて、治療に来る人が多いのです。ですから、愛着障害=休んでいる、ように見えてしまうのです。ここを見誤ると「うつ病」と誤診をしてしまいます。

休むとか楽になるというのは甘えですから、甘えから遠い世界で生き延びてきた人々に、甘えていいよというのは、恐怖以外の何物でもありません。また、その人の人生を否定することにもなります。ですから、カウンセラーが愛着障害の人々に向かうときは、休むとか楽にとかの言葉は、かなりの慎重さをもって使わなければなりません。それこそ、その言葉で死んでしまう可能性もあるからです。

ですから、見立てはしっかりと立てないと命取りになるのです。

愛着の臨床はそのような難しさはあります。通常と違う感覚の世界が繰り広げられるからです。通常の世界を生きる多数の人々(カウンセラー含む)にとっては、絶望の荒野がずっと広がっている感じに見えると思います。しかし、その絶望の荒野を休みなく歩き続けるのが愛着障害の人々です。その旅の同行者が、あなたたちカウンセラーです。

荒野を同行し続けること。その道の先はどこへ続くか。絶望の淵から、カウンセラーは彼らと一緒にそれを覗くのです。

愛着障害は死に至る病ではなく、休めない病なのです。永遠に働き続ける苦悩です。ギリシアの神話にそういうのがありました。永遠に岩を担ぎ上げる話が。死ねばその苦悩から解放されますが、彼らは死ねないのです。

彼らは休まないようにしている訳ではありません。休まないというのは休むことを知っていることです。彼らはずっと休むことを知らないわけですから、休まない、というわけではないのです。そういう細やかな理解が必要になるのが、愛着臨床です。

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