被虐者の会は成立するか?当事者会を愛着の視点で考える

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注意:動画の4:03付近の 「ここに虐待を受けましたという人がやってきたとしても私は怖いのです。 」の 「私」とは高間ではなく、「当事者」のことです。

被虐者はもともと群れない集団ですので、その集団をまとめあげようという発想はうまくいかないと思います。治療トラウマを作る可能性もあります。支援者はエンパワーしようという気持ちをいったん隣においておいて、支援していく必要性があるでしょう。

おっさんずラブ、田中圭

2010年代、一世を風靡したゲイのドラマです。おっさん同志のゲイの恋愛を、純愛ストーリーとして描いています。こういうコメディとしての描き方にホッした方もいるのではないでしょうか。

フツーと違う感じをコメディとして温めること。ここに人としての懐(ふところ)の深さを感じます。

いや、LGBTでない人にとっても、つまりフツーの人にとっても恋愛はコメディな部分も多分にあって、それは普通だよということを言わんがために、あえて純愛コメディにしたということもあるでしょう。変わらないよ、というメッセージです。

それは特別なモノでもなんでもないということですね。おっさんずラブ、この当事者感覚は良いです。おっさん関係の当事者会というのは、あまりなさそうですね。別に当事者会を作るまでもないわ、というのは、マツコ・デラックスの功績でしょう。あの人も懐が深い。

ゲイの人がみんなそうだとは言えませんが、あの世界はイイですね。ここはよくわかりませんが、おばさんずラブとはならない。女性は真面目にとっちゃうのでしょうか。ここはよく考察していくところだと思います。

被虐者(虐待を受けた人々)の会は成立するか?

当事者の集まりというのは、ある同じ悩みを持っている本人が集まった会のことです。ミーティングとか、自助グループとも言います。

昔はAC、アルコール、ギャンブル、統合失調症などくらいしかなかったものが、最近は色々と発展しました。摂食障害、発達障害。発達障害の夫を持つ妻の会というものもあります。当事者の会と同じに発展してきたものに、その当事者を持つ家族の会があります。それも当事者という括りで論じることができるでしょう。

同じモノ同志が結束すると、具体的な「生(なま)」の情報を得られることもあり、心強いものです。

さて被虐者の会というものもできたそうです。この被虐者の会というのは成立できるのでしょうか、というのが今回の私の危惧するところです。

当事者の会が成立するのは、確証はありませんが、脳機能の障害をもった当事者会は作りやすいのではないでしょうか。統合失調症、発達障害(知的障害を含む)、高次脳機能障害、双極性障害などです。情報も必要ですし、様々な豊富なアイデアも出し合えそうです。

また当事者の親の会も有効です。親御さんは原則的に、脳機能障害はありません。カサンドラの会(アスペルガーの夫をもつ妻の会)も当事者の親の会として捉えられるでしょう。

脳機能の障害を持った当事者の会とその家族会、これは成立しやすいと思いますし、集団として機能もするでしょう。

そこで被虐者の会です。被虐者というのは、もともと愛着を養育者と結ぶことができなかった人々です。ですから世界の人々と近づくのも怖い、世界が怖い人々です。そういう人たちにとって、当事者同士が集まったとしても怖いのです。だから近い関係にはなれません。遠くからお互いを見ている感じです。

これは他の当事者の会とはニュアンスが違う話になってきます。普通の人は愛着をもって育っていますので、似たような人が集まれば結束してパワーになる、とシンプルに考えがちです。

統合失調症、発達障害(知的障害を含む)、高次脳機能障害、双極性障害の人々も、愛着をもって育ってきた人が多いので、結束が可能なのです。

しかし愛着障害はそうではないということです。同じ人があつまってエンパワーしていこうということが可能かどうかを、立ち止まって考えていただきたいと思います。以前のYouTubeで配信したゾンビ集団キョンシーは被虐の人々です。映画では集団で襲ってきますが、それはゾンビを的確に表現していません。本当のゾンビは、人間から離れるために自分で死んだ人々ですから、人間が怖いのと同時に仲間もどこか怖い。だから群れることはないのです。

そういう人々にとって、群れなさいという集団を提案するのは、なかなか変なことだと思いませんか?かなり苦労を強いることになるでしょう。被虐者は、パラパラとしている。まとまってエンパワーしていこうとはならない。そういう理解がないと、せっかく会を作ってもうまくいかないのではないかと思います。

もう一つ重要なことは、被虐の人々は解離をします。当事者の会で自分の体験を話している途中で解離してしまうのです。そうすると現在に戻ってこられなくなり、いたるところで倒れたりするのでしょう。せっかく治そうと思って話しているのに、倒れてしまいます。これは治療トラウマです。そういうトラウマを新たに作ってしまう可能性が大きいのです。病状を悪化させてしまう。そこをケアできる心理職がいないと大変なことになります。

ACの自助グループにも、被虐の人々が混じっている可能性があります。そういう人々にとってはACの会が脅威に働くこともありますので、気を付けてほしいのです。

今のところの結論

私の今のところの結論です。被虐の人の自助グループは、通常の自助グループのような枠組みですと、うまくいかなくなるということです。複数の、より治療的な心理職がかかわる会でないと、当事者の会は成り立たないのではないかと思います。

これについては、ずっと考えていますが、私自身も良い提案ができないなというところでストップしています。結びつきをかなりルーズにした状態で、なんとなく引力を感じている、そういう引力圏を構築しないと、この被虐者の会はとん挫してしまうのではないでしょうか。

物理でいうところの「弱い力」でサポートするという感じです。エンパワーと叫びそうになるたびに反省するサイクルに入るような方向性でしょうか。心理業界は自ずと分かりやすいパワーゲームになりやすいので、心して取り掛かる必要があります。

愛着障害、虐待問題、境界性パーソナリティ障害の相談は、ソレア心理カウンセリングセンターへ。

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