動いていないと溺れる感覚はADHDだけじゃない【愛着障害】

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動いていないと溺れてしまう、眠くなると不快になる。これらは同じ心理的な背景があります。多動と不眠症、この二つの密接な関係について考えてみます。

溺れるナイフ

菅田将暉と小松菜奈の映画で有名になりました。原作はジョージ朝倉による少女漫画で、十代というナイフのような時代を描いた青春ドラマです。ナイフといい、溺れるといい、まさに十代の感性を表現した言葉ですね。

十代のナイフのような感情を表現した小説は数えきれないほどありますが、中上健一の「19歳の地図」なんてのはいかがでしょうか。似たタイトルで尾崎豊のデビューアルバムもあります。こちらは「17歳の地図」です。

溺れることは、普通は、十代に経験することですが、子どもの頃あるいは中年期でも(浅瀬で)溺れている人はいます。そういう人がカウンセリングに繋がって来談されます。

中年期に浅瀬で溺れるということは、一般にはあまりありません。危機に陥って深みで溺れたり苦悩している人は大勢いますが、浅瀬で溺れているのとはちょっと違います。だいたい中年期に達してくると多くの人は人生を泳げるようになるので、浅瀬で溺れたりはしません。潮の速い海流に押し流され濁流にもまれることはよくありますが、浅瀬で溺れたりはしません。

動いてないと溺れる

動いていないと溺れる、と言う人がいます。眠くなると不快、ともおっしゃいます。多動と不眠という軸です。

よく動いている人は今どきは、ADHDと誤診されてしまう傾向があります。しかし、この人は心配だから動くのです。そうやってなんとか溺れないようにしています。しかし、溺れた人は分かりますが、動くほど、もがくほどに溺れてしまうのです。

この人は研究職の人で、論文のテーマをずっと調査しているのです。起きているときはずっと考えている。眠ろうとしているときも動こうとする。不快感が出てくるというのは眠らせまいとするこころの動きです。常に警戒しておけ、という警告です。

運動し続ける人、働き続ける人、スケジュールをいっぱいにする人。それらの人々もこの人と同じような線上にあるかもしれません。共通の背景もあるかもしれません。

この人のこの感覚は中学生の頃からあったといいます。小学生のときの自分は分からなかったといいます。これは記憶がなかったのかもしれません。記憶を消している、そういうこともあり得ます。

動いていないと、暗く陰湿な感じが襲ってくるといいます。ADHDの人はそういう心理的な訴えはありません。暗く陰湿な世界に巻き込まれるのが怖くて動いているわけではありません。もっとシンプル、ただ脳がそのように動くことを指令しているだけです。苦しみの末、動いているわけではありません。心理的な不安や恐怖が背景にあるわけではないのです。事は大きいですが、脳機能の話だけが原因です。

そこを見誤ると発達障害という誤診が起きてしまいます。

眠くなると不快になる、だから眠れない。不快になるから眠れない。だから何十年も睡眠薬を手放せません。眠るということは、動かないということなので、それが心配で不快になるのです。

心理的な背景や精神医学的にどんな診断なのか単純には言えませんが、愛着の苦悩を引きずっている可能性もあるでしょう。こういう人には薬よりもカウンセリングが効く可能性があります。

自分の気持ちと家族関係のことを深く知っていくことが、回復への道筋となり得ます。似たようなクライエントを持っている人は、そういう視点で考えてみると、いままでの見立てが修正されることもあるかもしれません。

安全な空間の中で傾聴され、自分の深みと向き合いたいときは、ソレア心理カウンセリングセンターへ。

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