マウントしたり幸せ自慢する人は自分の我慢と寂しさを隠している

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映画のど自慢の大友康平と室生滋

のど自慢は、井筒和幸監督による、大友康平や室生滋が出ている1999年の映画です。ある地方で、NHKのど自慢出演を目指す人々の生活を描いた物語です。これは自分の歌を自慢するために歌うのではなく、誰かのために歌うというストーリーになっています。自分のためではない、誰かのために、というところがキーです。

幸せ自慢する人

飲み会に行ったときメンバーに60代のおじさんがいて、オレの家は幸せだと言うのです。新婚旅行に行ったオキナワの話をしていたら、オレも家族で行ったよ、ホラ、いいだろうと話を取っちゃうのです。また従業員の女の子が片隅で休憩していたら、そこへ寄って行って色々と聞きだしているのです。極めつけは、あなたは僕と出会えて幸せだったね、と吐く。それを聞いていた同僚が居ても立ってもいられなくなって、それをいうなら、僕はあなたと会えて楽しかったよ、だろうと。そう言われてもピンとこないおじさんです。

このおじさん、幸せバカに見えますが、かなり痛い人です。同僚は普通の感覚を持っている。こういうおじさんのような人はたまに居ます。

根底にはものすごく強い承認欲求があって、他人に対して、認めて認めて、僕が幸せなのを認めて、となるのです。周りの人は大変です。早く話が終わらないかな、と。根底には、巨大なさみしさがあるのですが、それが出てこないようにさみしさの表面に幸せ香辛料がまぶしてあるだけで、中はスカスカ。何も幸せじゃないのです。スイカのように表面をたたくと、カランカランと音がして中は空っぽ。周到にそれを隠しているのです。

なぜ幸せ自慢をするかと言うと、そうやってしか人生をやって来ざるを得なかったからで、しょうがない。それはそれでその人にとっては大変でしたが、こういう人はあまり同情されないですね。そのことに気づいて治ることも少ない。カウンセリングにも、ほぼやってこない。

幸せ自慢の人は裸の王様。上からマウントしてないと怖いのです。人間関係とは並列な関係を言うのであって、上を取ろうとすると、それは人間関係ではなくなります。それに気がつかず、幸せ自慢をしている人がいるのです。この怖さに気がつかない。気がつくと大変なことになるので用意周到に隠します。

周りの人は、距離とって、つかず離れずで付き合うのがいいのでしょう。関係を切ってもいいのですが、シガラミもあるので切れないこともありますね。

映画のど自慢は誰かのために歌う人、幸せ自慢をする人は自分のために歌ってくれと要求する人。真逆なのです。

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