ホームレスの3タイプ【荒川アンダーザブリッジを見て思った】

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夢のホームレス

この映画(原作はマンガ)はドラマにもなったようです。俳優の小栗旬はカッパで出演していました。この映画は夢のホームレス像というものです。実際はあんな近しい関係のホームレス・コミュニティは存在しません。だからファンタジーになるんですね。あれは作者の希望や期待が込められている暖かなストーリーです。しかし荒川にコミュニティを作る彼らの生き方は、人への不信感も漂ってきます。そういう人間同士が濃いコミュニティを作ったりはしないところに、作者の意図と現実の遊離のようなものを感じていました。

実際に、荒川、多摩川の河川敷にホームレスの人々は住んではいるのです。台風が来るたびに彼らは小屋が流されないように補強をし、もしくは避難します。当然のことですが、彼らも死ぬためにホームレスをやっているわけではないからです。生きたいし社会とつながっていたいという思いが捨てきれないでいる。

ですから街の少し境界域のような、人の気配がするところに住むのです。食べることを考えると、人の気配の全くないところでは彼らの生活が成り立たないので、それは当然と言えますが、何も食べ物のためにそういう境界域に居るわけではないのです。人に執着しているのでそこに居るわけです。人の気配が全くしなくなったら彼らも発狂するかもしれない。

ともあれ、荒川アンダーザブリッジというコピーライトはカッコイイですね。

誰がホームレスになるのでしょう

「ホームレスは人とのつながりが苦手なのか?」と聞かれました。その人も一歩踏み外していたら自分もそうなっていたかもしれないと言います。確かに人とのつながりが苦手な人、つながりが怖い人が、ホームレスになることもなくはないですが、それは少ないように思います。一般にホームレスというと、河川敷にテントを張っている人よりも、地下道に寝ていたり、公園で寝ていたりします。これはどういうことかというと、社会との接点がギリギリある場所でホームレスになっているのです。

これは人への依存しているということであり、つながりが苦手というよりも、つながりたいが上手にそれを作れない人々であり、つながりが怖いということとは違います。不思議な表現になりますが、社会との関係を保ったうえで生きたい人々がホームレスになったりもするのでしょう。関係をもちたいが、その能力が足りないのでホームレスにならざるを得なかった。そういう人が多いのではないかと思います。

ホームレスから社会復帰をする人もいます。そういう人はホームレスは仮の姿なので、社会復帰は可能です。元々社会で生きていた人なので社会復帰はそれほど困難ではありません。このように見てくると

(1) 社会復帰できるホームレス(普通の人)(執着あり)
(2)社会復帰したいが、する能力が足りないホームレス(社会適応力不足の人)(執着あり)
(3)社会が怖いホームレス(社会適応力はあるが社会が怖い人)(執着なし)

このように分類ができるかもしれません。これらの中でも(2)、次に(1)が圧倒的に多いのでしょう。執着という面から見たら、ホームレスも普通の人も同じ線上の人々と言えそうです。ですから普通の人もホームレスになるリスクはあるという間違った一般化がされるのでしょう。心理学用語で、根本的な帰属の誤りと言います。

映画に出てくる人々は、どうなのでしょうか。荒川アンダーザブリッジに登場している人々がホームレスになるのか?それは、あまりないように思います。なぜなら、ホームレスとは人に執着している人でした。映画の登場人物は、人への執着は薄いように思います。そうなると(3)が近いのかもしれず、ホームレスになる動機が薄れます。

話は変わって、日本では引きこもり、海外ではホームレスになるようです。日本は、親が子どもの面倒を見続けるケースが多いので、子どもは社会から逃れるために引きこもります。海外は自立と言われて、成人になると家から放り出されるため社会適応力がないとホームレスになります。ホームレスになると、事件の加害者にも被害者にもなるリスクが高まります。引きこもっていたほうがまだ良いのです。

ホームレスのカウンセリングは聞いたことがありませんが、引きこもりのカウンセリングは良く聞きます。引きこもりを考える場合、今回お話ししたホームレスの3分類が役に立ってくるでしょう。

追加:この記事を投稿した後で、YouTubeのコメントに「ネットカフェにいるホームレスもいる」といただきました。確かにそうですね。ネットカフェホームレスについては、また今度お話ししましょう。コメントありがとうございました。

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