【超重要】かわいそうから悲しみにかわるとき温かい涙が流れ回復する

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映画「男と女」のピエールバルー

クロードルルーシュ監督の1966年フランス映画「男と女」。主演のピエールバルーが挿入歌を歌っています。それが、Samba saravahです。原曲はブラジルのバーデンパウエルの祝福のサンバ。この中で、「かなしみのないサンバは、酔えないワインと同じだ」と歌詞があります。つまりサンバというものは、底にかなしみがあって、それが祝福なのだ、という歌です。

かなしみが祝福?そのように思われる人もいるかもしれませんが、そうなんです。人生においてかなしみは最も祝福されるものなのです。それがなければ、人生なんて実に味気ないものもなってしまう。なんだか、非常に熟達した大人のムードですね。フランス映画とはそういうものです。今日はかなしみについて。

「私は可哀想だったな」から「私が悲しかったな」へ

このように話す方がいます。この方もカウンセリングが長く、自分の気持ちがなかなかよく分らなかったのです。怒りしか見えなかった。それほどまでに怒りに満ち満ちていたのでした。他の感情が怒りで駆逐されているようでした。

長い話を紡いでいくうちに、時間はかかりましたが、怒りが通常レベルまで下がってくる。そこも頑張って紡いでいくと、自分が可哀想だったと分かります。そして、しばらくそこに居ます。

涙も流せるようになるのですが、なぜ泣いているのか分からない。夕日を見て、映画を見て泣いたりするが、これがどういう感情か分からなかったのです。

それが可哀想という時期を通過して、自分が悲しいと確実に分かるようになった。実感がわくようになったのです。カウンセリングで泣いたことが1度もなかった人でしたが、その回は、ハラハラとしみじみ涙を流されます。

「これまでなぜ子どもに優しくできないのか、怒りしかないのか。そういう自分に罪悪感があったのですが、それがなくなりました。しょうがないと受け入れました。子には、こんな自分に付き合ってもらうしかない。私が治ったら子どもに恩返ししようと思います。今はそれはできないけど、開き直りです。ツカエが取れました。そしたら、かなしみがこころの底からにじみ出してきました。」

こうやって、自分のかなしみを理解しました。人は、かなしみの中に降りるのですが、そこからまた昇ってくる。それが祝福なのでしょうか。祝福はなかなかやってきませんが、それでもいつかそれはやって来ます。かなしみとは、人にとって最大級の感情なのでしょう。

かなしみのないサンバは、酔えないワインと同じでした。かなしみは人生には必要なもの。そういう特別の質を持った感情なのでしょう。つまり人生全般に渡って、かなしみは人の毎日を、結果的に、潤していくものと言えます。

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