回復期には、心細さという場所を通ります。これは不安とはちょっと違うものです。心細いというのは、今がとっても心細いときに使うものです。
休職した人が職場復帰を果たすとき、リワークプログラムというものをやって、職場に慣らしていくことがあります。休職した人々が一つの集団を作って、そこでどうして病気になったのか、それをどう克服したのか、何が良かったのか、そういうことを理解するために、長期に渡って開催されるクラスです。
かなり回復してくるとそのリワークという集団から抜けるという現実がやってきます。これまでようやくできあがった居場所から離脱するということです。
この離脱に伴う苦しさが心細さを演出します。これは不安とは違うものです。ちょうど転校生が感じるような心細さと同じものでしょう。
しかし、居場所というのものは流転するものです。何か一か所にあるものではありません。そこが居場所と思っても、少し飽きてきたり、仲が悪くなったりして、そこから離れるときは必ずやってくる。それが居場所というものです。そうならないと、人生が流転していきません。
人生とは流転そのもの。どこかに留まっているわけではないのです。居場所は必ず居心地が悪くなって、新たな場所を探すためのものです。それがなくなる心細さが、リワークを卒業する人々のこころの中には去来するのです。
これは回復してきている、ということを示すものでしょう。