一生ソーシャルディスタンスでいたい~人生を自粛したい人々とは?

この記事は約6分で読めます。
ソレア心理学ゼミナールのYouTubeチャンネル登録はこちらをタップしてください。 (タップするとゼミナールの紹介動画が自動再生されるので音量に注意ください。)

先日、愛着障害=虐待について、こんなツイートをしました。

感染が怖くてステイホームするわけではないというのが、愛着障害の人々です。彼らは「一生ソーシャルディスタンスが良い」と肯定します。だからステイホームは楽なんです。「くっついていいよ」は超ストレス。これは普通の人とは真逆の感覚ですね。普通は「感染が怖い」に比重がかかるからステイホーム。(分かりにくかったので改訂しました。)

被虐者のステイホームは、ひとりでしたいステイホームです。誰かと一緒にステイホームするのはストレスしかないので、それがDVにつながることもあります。誰かと一緒という親密さがストレスなのです。ここが普通の人との違いです。ここを理解してあげないと被虐者の治療は進みません。

コロナのステイホーム期間は退屈だった人は多いでしょう。人間は「動物」なので、「動く物体」です。そこをステイホーム、海外ではロックダウンで動きを封じられるので、ストレス以外の何物でもないでしょう。

けれど、ひとりで部屋へこもって快適に過ごしている人々がいるのです。彼らは愛着障害という名前を持っています。別名、被虐者です。

ここでちょっと別の視点からみると、愛着障害でステイホームできない人もいます。彼らは動いていないと怖いので多動のように動きます。ステイホームせずにオープンしている盛り場を探して動きます。こちらも被虐者です。ややこしいのですが、行動からは判断できない場合があります。

下記の関連記事もご覧ください。

▼【反応性アタッチメント障害と脱抑制型対人交流障害】2つの愛着障害

今回の記事は、コロナと被虐者の心理を解説します。被虐者とそうでない人々の決定的な違いを解説します。コロナが下火になってきた今、まとめておいてもいいでしょう。

それによって被虐者の幸せが見えてきます。あなたの友人やパートナーが被虐者だった場合の助けとなるでしょう。

■感染は怖いか?

被虐者の多くは生きること自体が怖いので、感染についてはさほど恐怖を感じていないようです。世の中にはコロナ不安が起こっていますが、それもありません。むしろ感染して死んでしまえればそれでいい、くらいに思っている人もいるでしょう。

それは生命を軽視しているように見えるかもしれません。けれど、そこには軽視するような余裕はないでしょう。

今回、テレビは命の大切さを声高に叫ぶ人々で満ちていました。ああいう一つの方向性に向かっていくこと自体、彼らには恐怖に映ります。そういうこと自体が信じられないのです。絆ってよく分からないから。

普通の人はまとまっていくことで安心を抱くのですが、彼らの場合は正反対です。離れていくことでホッと胸をなでおろすのです。

■ソーシャルディスタンスは苦痛か?

被虐者は、ソーシャルディスタンスは苦痛ではありません。人と離れていられるので、むしろ快適といえるでしょう。また、世間的には、親しい恋人とはくっつかないといけないですが、それを離れろと公に言ってくれるので、安心して離れていられます。

ですからソーシャルディスタンスなんて、なんて素敵なことが起こったのか!?とコロナに感謝しているくらいです。一生、自粛していてもいいと言います。彼らにとっては、コロナは戦う相手ではなく、救世主のような雰囲気なのです。

■では、被虐者には恋人はいないのでしょうか?

被虐者だって人間です。恋愛もします。このように言うと、ほんとかな?と反論も聞こえてきそうです。

実際、反応性アタッチメント障害の人々は、人との交流が極めて限定されており、恋人なんかまるでいないように見えるからです。「それは絆をつくる行動自体が恐怖なので、恋人はいない」と分かりやすく説明されたりします。しかし、自分の子どもと愛着を作ることはこわごわとできるので、恋人とも同じ関係は可能です。こわごわと愛着を作ります。

しかし、この恋愛、普通の人の恋愛とは違ってきます。何が違うのかというと、普通の人は恋愛に落ちるとソーシャルディスタンスなんてしませんよね。けれど彼らは、それをするのです。実にそっけない態度をよくします。

近しい関係になってもそれは続きます。ですから相手は凹みます。それが原因で恋人と別れることになっても、それでいいと思っています。助かった…と思うことさえあるでしょう。まぁ、そんな変な恋愛です。

それが複数の異性とのつきあいを生じさせたりして、人間としてどうなの?とも叩かれたりします。

■ミニマリストよりも、人生を自粛したい

被虐者が人生を自粛するのはそんなに難しいことではありません。最低限のもので生活しろと言われたら、実に簡単にそれが可能でしょう。

最低限の持ち物で生活する人をミニマリストといいますが、被虐者はミニマリスト以上に持ち物がありません。執着がないので、モノが集まってきません。確かにモノで溢れかえっている人もたまにはいますが、モノには執着していません。

モノで周囲を固めている感じです。モノの集合体が彼ら自身の洋服のようになっている感じです。怖いので、モノで固めてある。少しぶつかれば、パラパラと崩れ落ちます。執着はありません。

■被虐者の幸せ

まとめると、

  • コロナ感染は怖くない
  • 人と離れていると安心だ。一生ソーシャルディスタンスがいい。
  • 恋人はいるが、クールな関係
  • 人生を自粛したい。モノへの執着なし

被虐者は、こんな人生を送ることができれば、十分幸せなのです。ただ、幸せになっていない人が大勢います。なぜなら、彼らはこの生き方の良さを味わえないほど、恐怖の中に生きているからです。彼らの恐怖がレベルダウンしてくれば、この幸せが見えてきます。

パートナーや友だち、そしてカウンセラーは、その彼らの恐怖をダウンさせるために存在するのでしょう。それが役割のひとつです。

愛着障害や虐待の相談は、ソレア心理カウンセリングセンターへ

この記事が気に入ったらフォローお願いします
タイトルとURLをコピーしました