カウンセリングの前日にしてほしいこと【忘れる幸せの体験】

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十分に考えた後で忘れてしまうことによって人類は進化してきたと、言ってもいいくらいかもしれません。それくらい忘却は必要な能力なのです。

自由に葛藤を話して整理したいときは、ソレア心理カウンセリングセンターへ。
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ナイナイの岡村隆史の忘れる幸せ

ナイティナインの岡村が川田アナウンサーの結婚について、「僕のことは忘れていただいて、幸せになってほしいと思っている」とコメントしたそうです。詳しくは知りませんが、岡村ってハードボイルドだな、と思いました。

やせ我慢も男の美学のようになると、それはまさしくハードボイルドですね。村上春樹の、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドという小説もありましたね。村上とハードボイルド、違和感がある人もいるかもしれませんが、彼の小説がなぜハードボイルドなのか、別記事で考えてみます。

今回の記事は、忘れる幸せについて。忘れる幸せについては瀬戸内寂聴も言っているようですが(忘れる能力は救いです)、これはカウンセリングでも同じことが言えます。

カウンセリングの前日の忘却

相談者が忘れることとカウンセラーが忘れることの2つに分けて考えてみます。どちらも、忘れる幸せにつながっています。

相談者が忘れること

カウンセリングが始まるまでは色々と葛藤したり思い悩んだりすると思います。コレを言おう、アレを言おう、やっぱりコレは言うの止めようとか。この葛藤している時間がカウンセリングに活きてきますので、こういう悩みは良いのです。

そして当日になったら(あるいは前日の夜に)それら相談しようとしていたことをすっかりと忘れることです。カウンセリングの条件として、真っ白な状態で来ていただく。そういう状態で、話せることから話していく。

こういうふうに話すと話す側の負担も少ないですし、本当に話したいことを自分に無理のない順番で話すことができます。途中で思いもよらかなった気づきに展開することもあります。話しが飛ぶのは良くないということはありません。

おそらくその話の展開は、脳機能の転導性(あっちこっちとせわしなく動き続けること、ADHD的特性)からくるものではなく、ある意味、そのセッション全体から見たら、その話しの展開は必然であったと、後から分かるモノかもしれません。こういう予想外の展開というのも大事です。それこそ、「忘れる幸せ」が導いてくれたものになるでしょう。

カウンセラーが忘れること

精神科医の中井久夫先生がおっしゃっていたことです。「治療の前日には、(患者に関係する)論文や本は読まないことにしている。それによって治療が変な方向に引っ張られてしまうことを避けるためだ。」

治療者は常に勉強していないといけないわけですが、治療は架空の人物に対して行うのではなく、目の前の患者に対して行うものであるという、当たり前のことに対しての警鐘なのでしょう。この当たり前のことが治療で行われていないことが多すぎるのです。

この記事を読んでいる治療家の方々も苦笑いしている人もいるのではないでしょうか。色々と論文や研究を調べることは何も悪いことではありません。むしろやらないと技能が向上しない。やらない人は臨床から足を洗いなさいと言われても仕方ありません。しかし、それに囚われてしまうと、目の前の患者を置き去りにしますよ、ということです。勉強しなさい、でも自由でいなさい、ということです。

それが困難事例の治療の前日には論文などを読まないということです。不慣れな症例の患者に対するときは治療者も不安なことはあるでしょう。それでついつい資料を読みたくなる。何かを探したくなる。それはやってもいいことですが、もっと余裕のあるときにやりなさいということです。

前日に論文を読まないというのは、助けを求めないということです。自分で腹をくくって、目の前の人に対峙しなさい。いまの自分だけで対峙しなさい。それは失敗するかもしれないが、それがあなたの今だから、というエールの意味もあるでしょう。自分の限界を常に知っておくことも、臨床家には求められる能力でした。

不自由さのなかの自由

自由になるためには、不自由を生きていないと分からないという逆説性があります。つまり不自由を知らないと本当の自由が分からないのです。人はすべてを自由に生きることはできません。自由に生きているのは4歳くらいまででしょうか。それくらいまでなら誇大自己でいいのです。幼稚園に入るとどうしても自由でなくなります。しかし、その葛藤が子どもを成長させていきます。

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