ゾンビ、スナフキン、恵比寿、座敷わらしはどこにも属さない人々

この記事は約2分で読めます。

ゾンビプロジェクトの投稿に気分を害された方もいらっしゃいました。お詫び申し上げます。ネーミングを変更するのか、あるいはゾンビ特性の理解をもっと深めていったほうがいいのかと思いました。方向としては後者をやっていく方向で頑張ろうかと思います。

世の中に広く理解してもらうために。なぜ理解が必要なのかは、(私の想定する)ゾンビは虐待問題と深い関係があるからです。これは追々話していきたいと思います。

お二人の方からメールをいただきました。その方々は、あるゾンビ種族と言っていいのかわかりませんが、そこにはゾンビについての深い愛情が綴られていました。ご自身の体験を交えたものです。これをゾンビ感覚と言ってもいいかもしれません。

まずお一人目は、ゾンビは「同じ世界に居ながら別の世界をいきている人々」であるとおっしゃいます。一度死んでから生きかえって地上で生き続けるわけですので、それは別の世界を生きているということになるでしょう。

ゾンビというより、筆者の孤独と愛着の本に出てくる「人工衛星の人々」というイメージのがしっくりくるとおっしゃっていました。地上でウロウロしているのはちょっと違うのかもしれないですね。人工衛星―つまり解離しているわけですね。でも、同じ世界に居ながら別の世界を生きるというのも、解離そのものかもしれないですね。

デビットボウイ主演の映画で、地球へ落ちてきた男というのがありましたが、あの男も人工衛星の人だったのでしょうか?ボウイ自身も?話がズレました。戻します。

お二人目は、「信仰に浸るのも私は怖くて、かといってスピリチュアルな世界にも行けなくて、私はどこにも属さない一人なんだな、と自覚しています。」そのようにおっしゃいました。この「どこにも属さない一人」感覚というのもゾンビ感覚そのものでしょう。

「ただゾンビはグロテスクなので嫌悪感を抱く人もいるかもしれません。誤解されやすいと思います。私はゾンビか?と思うと悲しくなります。だから、コミカルな可愛さ、マスコット的なシュボシュボっと樹の影に隠れるようなゆるキャラがいいかな。」

このお二人のお話しをお聞きして、ゾンビの世界がまた広がりました。ゾンビの先輩たちとしては、スナフキンであり恵比須であり、ってところですね。どろろの百鬼丸はまだゾンビとして格闘中ってとこでしょうか。座敷わらしもそこへ入りますね。ゾンビと座敷わらしは、兄弟くらいの近さを感じます。

それらをつなぐものは、孤独です。

タイトルとURLをコピーしました