生い立ち授業

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2015年の静岡新聞の記事です。

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学習指導要領に基づき、生活科で児童が自らの生い立ちを振り返る小学2年生の授業について、虐待などさまざまな理由で親と暮らせない児童を養育する里親らから戸惑いの声が上がっている。(略)
「本当につらい作業だった」―。小学3年の女児を養育する静岡県中部の里親は、女児が2年生だった今年2月に取り組んだ生活科の授業に苦しんだ。担任から「名前をつけた理由」「1歳の時に初めてできたこと」などの質問が書かれたプリントを宿題で配られた。絵本の形にまとめるため、思い出の写真などを準備するようにも言われた。
女児が里親の元にやってきたのは小1の時。写真はあったが、実の親と連絡は取れない。担任に相談すると「ありきたりなことでいいから書いて」と返ってきた。名前の由来や乳幼児期の様子など「想像で書くしかなかった」と里親は話す。女児は直接的な拒絶の言葉こそ口にしなかったが、しばらくは表情が暗く、怒りやすい状態が続いたという。

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このような場合、「ありきたりなことでいいから書いて」という指導はありえませんが、こういう記事を読むと、少しでも想像力があれば、生い立ち授業については、細やかな配慮が必要だとわかるはずだと、つい教師に期待してしまいます。しかし、これ以上のことを教師に望むのは酷なことかもしれません。なぜなら虐待環境で育つということはどういうことなのか、ちゃんと理解することは難しいことだからです。

私たちカウンセラーの中でも、虐待問題についてカウンセリングできるかと問われると、それができる人はどの程度いるのか、と思ってしまうくらいですから。

臨床心理士なら必ず勉強する心理療法に、内観療法というセラピーがあります。wikiによると、吉本伊信によって開発された日本発の心理療法で、1960年代から精神医療現場に導入されるようになりました。これは、 母、父、きょうだいなど、自分の身近な人に対しての今までの関わりを、

1.してもらったこと
2.して返したこと
3.迷惑をかけたこと

の3つのテーマにそって繰り返し思い出すということをします。これによって、自分や他者への理解・信頼が深まり、自己の存在価値・責任を自覚する事によって社会生活の改善につながると考えられています。

しかし、この作業は、虐待を受けた人にとっては無意味どころか有害です。虐待をした人に対して「してもらったこと」や「して返したこと」や「迷惑をかけたこと」を思い出すことはできないからです。自分の気持ちをねじまげて思い出すことをしてしまうでしょう。これでは治療効果どころか治療的PTSDを作ってしまいます。

ですから被虐者に対しては、内観療法は禁忌なのです。

小学校の生い立ち授業も、このような問題を含んでいるということです。

さて、2分の1成人式(にぶんのいちせいじんしき)というものも、昨今の小学校ではブームになっているようです。私の頃はありませんでした。Wikiによると、

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成人の2分の1の年齢である10歳(プレティーン)を迎えたことを記念して行われる日本の行事・儀式。二分の一成人式、1/2成人式とも表記し、十歳式、ハーフ成人式、半成人式とも呼ばれる。学校や地域で行われる。学校で行われる場合には、小学校中学年の4年生を対象に、校長や保護者代表による祝いの言葉、「2分の1成人証書」の授与、合唱等が行われる。2分の1成人式の考案者は兵庫県西宮市の佐藤修一教諭とされる。1980年頃に4年生の担任をした際、高学年への門出に「背筋を伸ばして参加するようなイベントを」と考案したという。
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この2分の1成人式について、名古屋大学の内田良准教授は、

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保護者の「9割が満足」というこのイベント、10歳の節目を祝福すること自体は、斬新なアイディアで興味深い。だが、問われるのはそのイベントの「中身」である。

2分の1成人式の代表的な「中身」には、次のようなものがある(各学校が以下の項目すべてを実施しているわけではない)。

○将来の夢を語る(就きたい職業)

○合唱をする

○「2分の1成人証書」をもらう

○親に感謝の手紙をわたす。親からも手紙をもらう。

○自分の生い立ちを振り返る(写真、名前の由来)

これらの中身のなかで、私が学校の先生方に再検討していただきたいと思うのは、最後の2点である。このエントリーでは、親に感謝の手紙をわたすことについて、検討を深めたい(生い立ちの振り返りに関する問題点は、「家族の多様化」と絡めて別稿で論じたい)。 (中略)

昨今、家庭内における児童虐待の問題がこれほどクローズアップされているにもかかわらず、まるでそのような事態などありえないかのように、「感謝の手紙」が強制される。家庭で心身ともに深く傷つき、学校でも家族が美化されるとなれば、子どもはいったいどこに逃げればよいというのだろうか。

虐待を受けている子どもが、学校では健気に、何事もないかのように振る舞うことは、よく知られている。とても元気な優等生が、じつは家庭内では毎日のように親からの暴力で苦しんでいるというのは、けっして珍しい話ではない。虐待は、それほどに見えにくい。

私たち大人は、子どもの痛みをいつでも受け入れられる準備をしておかなければならない。私たちが家族をただ素朴に美化し、子どもにそれを強制するとき、家庭で傷を負った子どもは、きっと私たちから離れていくことだろう。

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このように内田氏は2分の1成人式についても、先の生い立ち授業と同じ問題点をあげています。ここには何の異論もないので、別の視点でこの問題を考えてみます。

それには10歳という時期が、心理学的に見てどういう時期であるのかを明らかにしないとならないでしょう。人間の発達において10歳という時期は、学童期の終焉へ入ろうとする時期です。学童期とは、親の生き方を、異論を差し挟まずそのまますっかりと学ぶ時期です。それが終焉を迎える時期なのです。つまり親のことを見くだし始める時期。親の言うことは正しいと思うけれど、何かそれはちょっと変なところもあるな、と気が付きだす時期です。そして学童期が終わり、思春期に入っていくのです。

映画でいうとスタンド バイ ミーのような時期。それが10歳以降の小学校4年~6年にかけてです。上級にもなると思春期の心性が強くなっていきます。

10歳というのはそういう時期だとい視点にたつと、この2分の1成人式を祝うというのは、今行われいるものとは趣旨が変わってくるでしょう。

○将来の夢を語りながら、同時に不安も語ってもらう。

○「2分の1成人証書」は出さない。変わりに自分で証書を書く。

○親から学んだことを書く。善いことも悪いことも。

○自分がこれから思春期に入っていく不安を親に知ってもらう。

こんな形になるのでしょうか。
これは親としては不安な式典になるので、賛同する人はいなくなると思います。しかし、これが10歳ということなのです。

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