ゾンビは何度も死んで生き返るイニシエーションを繰り返す

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ゾンビの世界に閉じ込められて出て来れない、マイケルジャクソン

この話を書くために、一世を風靡したマイケルジャクソンのスリラーを見てみました。いつ頃だったかと調べたら1983年なんですね。テレビでも彼のビデオは良く放映されていました。

最初彼は狼男になるのですが、その後はゾンビ、ゾンビ、ゾンビです。まあ狼男もゾンビも同じといえば同じですね。そのことはゾンビプロジェクトとしては願ってもないことでしょうか。ゾンビと月光というのは切り離せないですね。

実際マイケルもゾンビか?ということはさておき、あのビデオを見ていると、彼は永遠にゾンビの世界の住人から離れられないようですね。そんなふうに描かれています。ここがポイントです。あのストーリーを作った人は誰か知りませんが、ハリウッドで終わっている感じです。ストーリーに味がない。

私が以下で話すことは、それ(ハリウッド風のマイケルのスリラー)とはちょっと違うのかもしれないと思うのです。ゾンビはゾンビの世界だけにとどまっていないよ。非ゾンビ世界と循環するよ、という話。

死と再生について。三途の川で蘇る臨死体験のゾンビ族は循環する

ゾンビのYouTubeでコメントをいただきました。その方は、非ゾンビ族とゾンビ族のことに思いを馳せていただき、死と再生について書いていただきました。

前のYouTubeは、ゾンビでない世界で生きているゾンビのヒトタチは、薬を飲んでいったん死んで生き返るという話でした。、薬を飲むのはイニシエーションで、そのイニシエーションによって死と再生があるというご指摘をいただきました。それは、まさしくそうで、大きな枠でみるとそうなると思います。

ここで思い出していただきたいのは、タロットカードでも話しましたが、カウンセリングとは、必ず死と再生を通過するのでした。これはゾンビ、非ゾンビ限らずそうでした。ですから、ゾンビ世界でも非ゾンビ世界でもイニシエーションは起きているわけです。起きているからこそ、ゾンビも回復するし、非ゾンビでも回復するわけです。

ゾンビのヒトタチは、ゾンビと非ゾンビ間のイニシエーション、ゾンビの中でのイニシエーション、タブルでイニシエーションを成されるわけなので、かなり強烈な体験になることは間違いありません。ですから回復は強烈に行われることもあるわけです。

言葉を足すなら、マイルドな体験も多いです。強烈かマイルドか、その違いについては、まだよく分かりません。カウンセラーによって違うのかもしれませんが、私のカウンセリングの場合は、マイルドな形が多いです。たぶんカウンセリングスタイルというものによって違うのではと思っていますが、これはなかなか比較できないので、何とも言えないのが現状です。

ともかくも、ゾンビの中でイニシエーションがあるし、非ゾンビの中でもイニシエーションはあるということですね。(かつ、ゾンビのヒトタチは、ゾンビ世界へ飛び出すときにもイニシエーションを受けるのです。)

提示した図では、ゾンビ世界と非ゾンビ世界を生き来しています。それは何でしょうか?非ゾンビで生きているゾンビのヒトタチは、生きづらくなっていったん死ぬわけです。そのとき彼らは非ゾンビ世界から離れたと認識します。この認識が死と再生の中間あたりであり、河合隼雄先生の言う「中空」という概念に近いものかもしれません。

ゾンビ世界は中空、つまり宙ぶらりんでもあるのです。そして彼らは時期を見て、そこからまた非ゾンビ世界へ戻ります。これが再生なのかもしれません。三途の川まで行ってまた戻る。つまり臨死体験です。ゾンビ族が全て臨死体験するわけではありませんが、臨死体験した人は、臨死のときは、外から俯瞰して非ゾンビの世界を見渡しているのです。そして、そこでまた死んで非ゾンビへ戻るのかもしれない。循環する。否、戻るときは死んでないですね。実にマイルドに戻る。

この関係は人工衛生そのもので、ゾンビの人々は人工衛星の人々なんです。人工衛星とは筆者の「孤独と愛着」で紹介した愛着の問題を抱えたヒトタチのことです。

非ゾンビ→ゾンビへ過程は強烈で、ゾンビ→非ゾンビへの過程はマイルドと言えるのでしょうね。

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