野心をもたずに流れにまかせて生きてみると運が巡ってくるかも?

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45歳でブレイクした小手伸也

記憶に新しいところでは、広瀬すず主演のNHK連続ドラマ「なつぞら」でアニメ会社の古参社員を演じていた小手伸也は、45歳でブレイクした遅咲きの俳優です。その後、芸能ニュースを騒がせたことでも再注目されましたが。

やることをやりつづけることによって花が開く。これは大器晩成の典型でした。しかし、これは何も一つのことをやりつづけることで、花が開くというものでもないように思います。

事実は、もっと幅が広い。同じことでなくても、何か同じような線上を生きている人々は少なくありません。挫折して違う道を歩んだとしても、もっと大きな視点で見ると、方向は同じだったな、と思えることもあるものです。

流れに逆らわず生きる

だいたい若いときは野心などがあり、創造的なことをやりたいと思っています。夢や希望ですね。それは若者が生きるには必要なことです。その野心がアイデンティティが出来上がるための基盤になります。

私も10代、20代、色々とやって模索するのですが、挫折を繰り返すのです。できない。しかし、そういう状況でも何かやっていると自分のやりたい事に方向づけされるのか、気がつくと自分が何かをやっていることに気がつくのです。

そこまで30年。50代くらいで、ようやく自分がやれることをやっていることに気がつく。流れに逆らわずにやっていると、やれることをやっていることになるのでしょう。請われたことをやっていると、何かをやっていることに気がつく。それは20代の創造的なものとは変質していることが多いですが、何かそのテイストがあったりもするのです。

私自身、20代の創造的なことを模索して30年たって、50代になってふと見渡すと必死に心理相談をやってきた自分に気がつきます。いつ頃からこっちにシフトしたのかなあ。しかし、この流れに納得しているので、60代になった今でも続いているのでしょう。

流れに逆らわずというのは、怖いもの。なぜなら平凡になるから。若者にとっては平凡は怖いでしょう。だから、流されないように急流の中に両足で踏ん張っている。これが20代です。こういう経験は必要で、抵抗する経験も、流れに乗るためにも必要なのでしょう。そして、ある時から、怖いながらも流されて行くと、行きつくところへ行く。恵比須が両手足のない蛭子で川へ捨てられ、流れ流れて恵比須になる。30年流されることになるかもしれませんが、行くところへは行く。そう思います。

若いころ思っていたものが流れていくうちに形を変えて、でもその人の若いころのフレーバーが残っている、そういうルーツを感じるものに変性する。非凡から平凡へ変わっていく。そのためにも流れに逆らうこと、そして怖いけれど乗ってみる、流されてみる。

まずは流れに逆らうことがあって、乗ることができるようになります。

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