この音声配信は、カウンセリングに興味のある人のために行う私的なゼミのようなものです。
舅(しゅうと)のことが大嫌いだったのに、何回も会わないといけない状況下、ある日突然、舅への情愛が感じられるようになった。これはいったいどういうことなのか。彼女を救った、彼女の中に生きているインナーチャイルドと、臨床心理士の言葉とは?
この音声配信のテキストは下記になります。
キーになるのは、身代わりの子が「(義父からされてきたことを)思い出して」と教えてくれて自分を救ってくれたというところと、私がこの方のカウンセリングで「これ以上義父に肩入れしないようがいい」と言ったところです。
両者とも同じことをこの方に示しているのです。前者の身代わりの子とは、この方のインナーチャイルドであり、賢い子どもの一人です。こころの内に居る賢者とも言えるでしょう。私もこの賢者と同じことを言ったので、この方もハッとしたのでしょう。まずはこの賢者がメッセージを出した。次に私は、それをなぞっただけです。
辛い事態が続くと生きのびるために、そこから①逃げるか、②戦うか、③受け入れる、この三択しかなくなります。この方は、三番目の受け入れる方法を取ろうとする方です。そのために、最大限に自分をガマンさせて、全く正反対の自分を演じることになります。そうやって状況を乗り越えようとするのです。この生存戦略は、後日、心身の不調というしっぺ返しを食らうことになります。
身代わりの子は、インナーチャイルドの一種とお考えになってよいですが、それとは決定的に違うところは、身代わりの子は成長する可能性があるというところです。これについては、別のYouTube音声配信である、タマシイの発達(前編、後編)をお聴きください。タマシイの発達についてはテキスト配信もございます。お悩み相談室>こころの発達>タマシイの発達を体験する特別な人々を参照ください。
音声配信では、PTSDのストックホルム症候群についても若干お話しをしています。では、テキストをご紹介します。
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独居していた義父が病に倒れ、身体と言葉が、不自由になりました。施設に入って、何度かの命の危機を乗り越えた頃のことです。
私は義父が苦手でした。単なる苦手意識なんてもんじゃない、心が壊れるほどに苦手でした。良い嫁であろうとして、非常識な義実家を変だとも認識出来ずに服従していました。そこには、私自身の問題もありました。
結婚12年目頃に、そのストレスにより私はパニック障害と診断されて、医師により義実家との接触禁止になりました。
冷却期間の後は、距離をとって付き合ってきましたが、義父が変わるわけでは無く、たまに会うのも苦痛でした。その後、義母が急逝したので、それまでより頻繁に、義父に会いに行かねばならなくなりました。義父は私が行くととても喜びました。なぜこの人は、私に避けられてることが分からないのだろう?夫にしか分からない用事なのに、私の携帯に電話してきます。用事が無くても電話して来て、泣かれたりした時は、何十年ぶりかにパニックの発作が起きてしまいましたが、仲良くしている、身代わりの子に救われました。「思い出して」と教えてくれたんです。そう、私は散々、酷い目にあって来たのだから、受け止めてあげたりは無理なんです。そう気づいて、発作が収まりました。たしかに妻に先立たれた年老いた義父は気の毒で、私はまた無理をして良い嫁をしていたのです。その無理が溜まりつつあった時に、義父が倒れました。
救急病院から、リハビリ病院に転院、さらに短期の転院をして、やっと終の住処になる施設に入れました。綺麗な落ち着いたところで、スタッフも感じが良かった。
リハビリ病院にいた頃は、自宅近くだったのですが、私は夫と一緒にいつも行きました。それも辛かったのに、一人で行かなきゃならない事もあり、恐怖に怯えながら病室に行き、用事を済ませると逃げ出すように出ました。身体も動かない、言葉も出ない、そんな状態の義父なのに、正視できないのです。ゆっくり話しかけてあげて下さいね、なんて看護師さんに言われ、悲鳴を飲み込んで後ずさりしてしまう私。なぜ、あんなにも怖かったのでしょう。
そんな状態なので、施設にも夫一人で行ってもらうことが増えました。私は、面会に行くと、夜中に過呼吸を起こすようになっていました。夫は隣で寝ていて、私の発作を目の当たりにし、これ以上無理させられないと理解してくれました。
それから何ヶ月かして、義父は肺炎になり、生死を彷徨いましたが、奇跡的に回復しました。そんなことが頻繁になり、施設から急な呼び出しも増え、私も同行しました。そんな状態が続いていた時、私は突然に義父に親愛の情をおぼえ、夫と面会に行った時に、両手で義父の手を握り「お義父さん、わかる?私来たよ、ずっと側にいるからね、元気になってね」と言っていました。私は我ながらビックリしましたが、とても清々しい気分になり、夫もとても喜んでいました。私の身内や友達にも、これさ神さまのご褒美だ!と私の周囲も良かったねーと言ってくれて、私も義父をやっと愛せるようになったと本気で喜んでいたのです。新しい朝です!なんて…
数日後に高間先生の面談がありました。私が嬉々としてそれを報告すると、先生は、それ以上は義父に肩入れしない方がいいと言われたのです。私は我慢の限界を越えてしまうと、正反対のことをしてしまうのだと説明されました。
面談日がすぐだった事は、幸運でした。頭を冷やしたら、もう二度と顔を見るのも辛い自分に戻りました。夫に伝えるとガッカリしていましたが、あまりにも急な変わり様に、夫も心配だったそうです。