危険地帯で生きのびようとするトラウマな人々【世界はゲットーだ】

Snow covered mountains/ Patagonia 愛着とトラウマ(虐待)
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・あえて危険な場所を選んで行動しているように見える人の心理は?
・世界の紛争地域や人里離れた場所に好んでいく人の心理は?

そんな人々の心の背景を解説します。この記事のポイントは、

  • 危険な場所へ行って危険が去ったことを確認したい心理(前半)
  • 危険地帯は、彼らにとってはふるさとのようなもの(後半)

■トラウマの人はあえて危険なモノや場所を求める

Snow covered mountains/ Patagonia
危険が安心する不思議な人々…

人は危険さえ楽しみます。バンジージャンプとかジェットコースターとか。他の種の動物は決してやらないことを求める動物が人間です。しかし危険を求める人の根底にはPTSDがある場合があります。 次のようなツイートをしています。

【危険を求める人】高いところから身を乗り出したり、ヤクザに喧嘩を売ったり、覚せい剤に手を出したりする人がいます。それらの中の一部の人は、【あえて危険な行動をすることで危険から回避できた体験】を得たいのです。なぜか?それはC-PTSDです。似たような行動がゾロゾロ出てきます。(改編)

PTSDの人は、自分が被害にあった場所や、被害に合いそうな場所に二度、三度と近づく傾向があります。つまり危険な場所に「あえて」近づく。これは、そういう場所へ行っても「もう危険ではない」ということを確認するためです。そうやって危険は去ったことを体感して安心感を得ようとするのです。

このツイートでは、C-PTSDの人を対象に話していますが、PTSDも同様です。C-PTSDとは複雑性PTSDで、いくつもの(小さな)トラウマ事象を体験している人のことです。一方、PTSDとは単一トラウマを体験している人のことです。

例えば、暗い夜道を歩いていて、不幸にもレイプされてしまった女性がいたとします。彼女は、レイプ直後は暗い夜道を怖がって避けて歩こうとしますが、しばらくすると、暗い夜道を選んで歩こうとします。なぜなら、「もう暗い夜道は安全なんだ」ということを確認したいためです。身をもってそのことを体験したいからです。

しかし暗い夜道は、以前と変わらずに危険な場所であるため、またレイプの被害にあってしまう危険性が高いです。これは安心を得たいために、【あえて】危険な行動をとっているのです。レイプを例に出しましたが、親に虐待されている子どもも同様です。

C-PTSDの人は、日常がPTSDばかりなので、安心するものがほとんどありません。そんな中で、安心を得るために、あえて危険な中へ飛び込んでいく。それほど切羽詰まった状態にいるということです。被虐児などに、特に顕著に見られます。脱抑制型対人交流障害として表現されます。バンジージャンプなどは、疑似的な危険として体験されます。

大人になると「危険からは逃れなければならない」という思考が優勢になりますので、あまり危険には近寄らなくなります。けれど、これは「思考」で押しとどめているだけなので、感情や感覚が刺激されると、フラフラと危険なことへ吸い寄せられていったりします。

■世界の危険地帯を歩く

A man walking in a snow covered mountain/ Hornopirén, hualaihué, Chile
恐怖を感じないからどこへでも行ける。

トラウマを背負っている人はあえて危険を冒すという話をしました。同じように、世界へ飛び出していく人々の中にも、トラウマを背負っている人がいるのです。次のようなツイートをしています。

安心感の薄い人は高山生活者のようです。標高4000mは酸素の薄い世界で、恐怖に隣り合わせで、やっとのことで生きている。こういう人は、意外に、世界へ出ていったりします。世界では戦争も強奪もあって平和なだけではないのですが、それをものともせず出ていく。怖いものシラズなんですね。

前のツイートで見てきたように、C-PTSDつまり幾つものトラウマを背負って生きている人は、危険なところへあえて身を投じることがあります。世界の人々は、多くはやさしいのですが、そんな人々も戦争や強奪の世界に巻き込まれると、保身に入ります。旅行者への対応をしている余裕がなくなります。トラウマな人々は、そういう風に疎外されていることが、かえって心地よかったりします。

かつてThe Warというバンドの「世界はゲットーだ」(*1)というアルバムがありました。バント名が「戦争」なんです。なかなかファンキーな音楽でした。ゲットーとは、一言でいえば、治安の悪い危険地帯。普通の人々は、そういう場所は避けます。嫌いです。しかし、トラウマな人々は、その場所が自分の場所だと思っているところがあります。安心のない世界がいいのですね。心地よいわけでありません。仕方がないけどゲットーへ帰る、ふるさとはゲットー、そんな感じです。

戦争カメラマンという職業があります。あえて戦争地帯へ身を投じるのです。彼らの生き方は、究極のゲットーを求めている行動になります。この職業、普通の感覚では、なかなかできないことですが、ジャーナリズムの側面からとらえられがちです。しかし、彼らの全てがそうだとは言えませんが、高い確率で、彼らはトラウマ的なものを持った人々のように思えます。

戦地までいかずとも、この日本のかたすみで、日常生活の中にひっそりと息を潜めていきている人々も少なくありません。彼らも、ゲットーの中で生きているといえるでしょう。ボリビアの首都、ラパスは標高3600mの高山地帯です。富士山頂上と同じ、非常に空気が薄い地域です。高山生活者は息をするのもたいへんです。そんなラパスで生活するように、息も絶え絶え、呼吸を忘れつつ、ギリギリで息継ぎをしながら生きている人々がいるのです。この日本のかたすみに。

■まとめ

トラウマを背負った人々は危険を求める行動をします。危険地帯へ【あえて】身を投じて、安心を確認する。彼らは、そういう安心の仕方しか知らないのです。

それは、ほぼ彼らの成育から来るものですが、そうやって危険地帯(ゲットー)という彼らのふるさとで、なんとか生きのびていく。住めば都といいますが、それは安心感に裏打ちされた言葉です。彼らにとってゲットーは、安心感などない世界。強いて言えば、ゾンビが徘徊する世界。そこで恐怖の中で、つかの間の安息を求めつつ、一日を生きのびている。あしたを考えると殺られるので、今日だけ、1回息継ぎするだけで、生きのびる。

そういう生き方しか知らない彼らですが、ゆったりした時間を少しづつでも増やしていけば、いつかゲットーから逃げ出せる、彼らのふるさとを捨て去ることができるでしょう。

危険な場所で生活しながら、息を潜めて生きている人々が、いつかゆったりと呼吸できますように。

A man on a boat/ Isla del sol, Bolivia
いつか、ゲットーから逃げきる。

Reference:

(*1) The War: The World Is A Ghetto, 1972

呼吸ができずに苦しんでいるときは、ソレア心理カウンセリングセンターへ

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