嵐の休業宣言を見ていると、あの人たちは何かと引き換えに、辛い芸能生活を選択しているのだなと思ってしまいます。優等生のとる行動を選択しています。そこは責任のある行動と言えるのですが、大人の行動と言えるのですが、反面、自由な雰囲気を感じられず感情が固まったままのような雰囲気を感じてしまって、見ているほうも、思わずチャンネルを回したくなります。
(チャンネルを回すなんて表現はずいぶん古い表現でしたね。)
そういう視点でみると、同じ事務所のSMAPの解散は、ドロドロとしたものが吹きだして、なかなか惹きつけられる解散劇でした。窮屈さはありましたが、それでも何か人間模様を感じさせるものでした。変な言い方かもしれませんが、生身の生きモノのような感じがありました。だから、より我々には身近に感じることができたのでしょう。
カウンセリングの現場では、こういう生身のような感じが出てくると、カウンセリングが進んでいることを実感できます。相談者、治療者、双方がそれを実感できます。ヒリヒリする感じがあるんですね。そういうのがいいのです。嵐の場合は、、そういうのがあまり感じられず、彼らの苦しさが伝わってきました。
今後、彼らがどのように自由になっていくのか、時々見ていたいと思います。