正体不明の声が聞こえる、正体不明なものが見える。

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いわゆる幻聴が聞こえる、幻覚が見える、という病態です。

ムンクの叫びという有名な絵をご存知かと思いますが、あの絵は幻聴を聞いて恐れおののいている人の絵です。

幻聴、幻覚というとなかなか腰が引ける人もいるかと思います。統合失調症と短絡的に結びつけてしまう専門家もいますが、この感覚の障害は、統合失調症ばかりでなく、うつ病、解離性障害、認知症のせん妄・もうろう状態などにも見られ、認知面・心理面に異常のない人が体験する幻視をシャルル・ボネ症候群といいます。

幻覚の前段階として、物が大きくみえたり(大視症)小さく見えたり(小視症)歪んでみえたり(変視症)することがあります。また普通の人がよく体験するものとして、デジャブがあります。なんだかここ前にも来たような見たような気がするな、あの感覚です。

このような体験よりもっと頻繁にある感覚の異常としては錯覚があります。電信柱のシミが狐に見えたり、夜の柳が風に揺れているのを幽霊と間違えたり、このような体験は誰しもあると思います。

幻覚・幻聴を病態として捉えるときの判断として、それが入睡時などの意識の消失が不完全なときに体験するものなのか、それとも意識が清明なときの体験なのかを聞くことがあります。

前者の場合はそれほど珍しくありませんが、後者の場合は、統合失調症やその他の疾患の疑いがあります。

実際には存在しない音声を聞くことを幻聴といいますが、先にも述べたとおり原因はさまざまです。

病態的には人の声の幻聴が重要です。そのときの声の質や音感も大切です。やけに金属的な音かそれとも自然の息吹を感じさせる音か、そういう質的な情報が大切です。患者にとってその音が親和的なのかそれとも異質的な音なのかということです。それによって幻聴へのカウンセリング方法も変わってきます。

今から100年あまり前、シュナイダーという精神科医が統合失調症の診断に有効な一級症状として取り上げた中の幻聴としては、

1.考想化声
2.会話形式の幻聴
3.注釈幻聴

があります。

考想化声とは、自分の考えが外部から声となって聞こえることです。
会話形式の幻聴は、二人以上の人物が自分のことを話題にして話し合っている声が聞こえること。
注釈幻聴は、自分の考えや行動を絶えず批判的に注釈する声が聞こえることです。しかし、これらの幻聴は、何も精神疾患に罹っている人だけが聞くものでもなく、非精神疾患者にもそのような体験はあるのです。

うつ病の場合、貧乏になったとか一生治らない病気に罹ってしまったなど、抑うつ的な微小妄想(罪業妄想、貧困妄想、心気症妄想)や誰かに追いかけられているという追跡妄想が生まれてきます。当然これらと同じ内容の幻覚も出現するわけです。

これらの妄想や幻覚は、話を聞いていくと十分に了解可能であり、いずれも抑うつ気分に彩られています。これをDSM-5では、気分に一致する精神病像と呼んでいます。

このほかに奇異な妄想や自我障害(思考吹入、思考伝播、させられ体験など)がうつ病の途中で出現することもありますので、幻聴・幻覚と言われて、即座に、統合失調症と判断されず、まずは専門家への受診をお勧めします。薬物療法でひとまずの危機は乗り越えられます。

とりあえず幻聴が聞こえてきたら、

(1)友達や家族と雑談をする
(2)運動などをする
(3)入浴やシャワーをする
(4)テレビやラジオを聞く
(5)静かにしてね、とお願いする
(6)姿勢を正す
(7)初恋の人を思い出す
(8)掃除をする
(9)何か食べたり、煙草をすったり、ガムをかんだりする
(10)不安な環境にいる場合はそこから遠ざかる
(11)休憩を取り睡眠を十分とる

などの対処法があります(原田, 2002)。

つまりは、気にかけず、相手にしないという姿勢です。
生活を振り返り、「不安、孤立、過労、不眠」を減らすよう、あせらずに養生することが大切です。

そのような生活を送りながら次の3つの事をストップさせていくためにカウンセリングを受けたり、薬物治療を行います。

1.後悔したり自責の念にかられる
2.自分でも気がつきにくい気持ち(陰の気持ち)を持ってしまう
3.他人の考えや言動をついつい想像してしまう

さて、この幻聴・幻覚という体験はいったいどういう体験なのでしょうか。

当事者しかわからない怖さがあるのですが、三島由紀夫の小説「鏡子の家」の後半で青年画家が、まさに統合失調症様障害にかかります。発病したときの風景がこれまでとは違う勢いで迫ってきます。その描写はまさに幻覚の恐ろしさを表現しています。主人公は拝み屋さんにも行くのですがいっこうによくなりません。しかし、初春のある朝、部屋のかたすみに咲く白い花を見て、何かを悟ります。そしてこちらの世界へ帰ってきます。鏡子の家は長編なので全部読むのがおっくうな人は、青年画家の部分だけを抜粋して読まれるのもいいかと思います。

幻聴・幻覚は、普通の人でも見たり聴いたりする、ということを冒頭に書きました。オキナワの精神病院に統合失調症で入院している患者の半分はユタ(オキナワ地方の拝み屋)になれば疾患が治ると言う人もいます。(半分というのは単に肌感覚で研究された数値ではありません。)

私のことを書かせていただくと、私は毎日瞑想をしているのですが、そのとき同時にヒーリングもしています。

ヒーリング中は瞑想もしているせいか頭の芯、つまり視床下部のあたりがジーンと気持ちいい感じがあります。最近気が付いたのですが、気持ちよくなってくると視覚に異常が現れます。見ているものの形が変わったり、壁が飛び出したりしてくるのです。ちょうど映画「シャイニング」で壁から手が飛び出てくるようなものです。私の場合は気持ちがいいので異質感がなく怖いという感情もなく幸せな知覚異常です。これはどうしたことなんでしょうか。視床下部が刺激され、神経伝達物質であるドーパミンが一時的に急増し知覚の異常を呼び寄せたのでしょうか。それとも本当にあっちの世界が見えているのでしょうか。これに興味のある研究者が居たら、ぜひとも私を研究材料に使ってもらいたいと思っています(笑)。

このように幻覚・幻聴には、大きく分けると次のような3つの原因があるようです。

(1)精神疾患
(2)一時的な知覚・感覚の異常
(3)スピリチュアルな体験(あちらの世界の体験)

これらのどれにも、カウンセリングは有効ですが、(1)の場合の第一選択肢としては、薬物治療です。薬でドーパミンの量を抑え、異質的に感じる幻覚・幻聴を低減させることがまずは必要です。ある程度収まってからカウンセリングを始めるといいでしょう。

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