去年(2010年)、テレビを見ていて気になっていることがありました。
それは大リーグで活躍するイチローの眼に関してです。彼の出演する一番搾りのビールのCM、そこでの彼の表情が気になっていたのです。一番搾りのポスターでも彼は同じような眼をしていました。
CMでもポスターでも、サーバーからビールをつぐとき、彼は手元のジョッキを見ているのですが、視線は確かにそちらを向いているのですが、眼はジョッキを見ていない。では何を見ているのか。そのような違和感をずっと感じていました。
このような視線をされる方に時々遭遇します。きまって重篤な精神疾患を抱え、それらに圧倒されているような急性期の方々です。コミュニケーションがとりずらい、統合失調症や重度自閉の人々にも同じ視線を感じることがあります。イチローには精神疾患はありませんが、同じような視線を感じたのです。そういう違和感でした。
では、イチローや重篤な精神疾患を抱えた人々は何を見ているのでしょうか。それは、自分の内面を深く見つめているのです。ですから視線が外側へ向かってこない。社会的な日常空間へ届かない。例えて言うなら、ブラックホールです。いったん光を呑み込んだら外へ出さない。存在はそこにあるのだが、存在が外へ出てこない。去年の彼の眼はブラックホールそのものだった。ブラックホールの中から外を見ていても、光さえ呑み込む吸引力なので、そこからは何も出てこない。そんな視線だったのでしょう。
人は、交流するときに、何かを出さないと交流できません。彼は当時、200本安打の連続記録がかかっており、自分の内面を見つめるしかなかった。だから何かを見ているときも、それはうわの空で、自分の内面しか見つめることができなかった。それがCMのあの眼だったのでしょう。
内面を見つめるということは良し悪しがあります。良い点は自分を内省できるということ。イチローの眼です。うつ病になるメリットも同じことがありますね。内省は人を成長させます。それが悪いほうへ振れると、自分のことしか関心がいかなくなるということ。これは自己愛の増殖につながります。常に自分に関心があるわけですから、自分のささいなことまでも気になりだします。対人恐怖の人にはこの心性が働いています。これが増殖していくと被害妄想に発展していって統合失調症のような病相を身にまといます。
今年(2011年)になって彼の眼は変化しています。外側へ視線が出てきている。これは彼が普通の人間へ戻ったということです。確かに今の時点(2011年9月上旬)では、彼の200本安打達成は難しいところに来ています。彼は諦めることなく目標を目指していますが、内面は非常に動揺していると思います。この人間的な部分によって彼の視線が外側へ漏れ出てきたのでしょう。(彼はかなり前から記録の達成は無理だと感じていたのでしょう。なぜならCMの眼は普通の眼に戻っていたから。)
私はイチローに、もういいよ、もう十分だよと、ねぎらってあげたい。
臨床描画研究という雑誌があります。これは市販されていますが、実は、日本描画テスト・描画療法学会という学会のれっきとした学会誌なのです。学会誌というのはその学会に所属している学会員にだけ配布されるもので、多くの学会は複数の学会員からの推薦がなければ入会できません。そのような専門的な書籍が一般の方にも購入できるというのは画期的なことでしょう。
その臨床描画研究、2011年度版がそろそろ店頭に並ぶころだと思いますが、その中に石川元氏が発達障害について書かれています。それを読んで知ったのは、イチローがアスペルガーかもしれないという視点でかなり前から噂されていたらしいのです。
まあそういうこともあるのかなと思いますが、神田橋譲治氏の「大なり小なり成人はみんな発達障害」という意見もあるくらいです。発達障害とは脳のシナプスの連結がうまくいっていない状態であり、そういう状態は誰しもがあるものだ、ということです。脳の後ろのほうから伸びたシナプスが前頭葉のシナプスと連結するなんていうのは至難のワザです。そこでミスってしまうシナプスも出てくるでしょう。それが発達障害ということです。そしてそのミスは誰の脳にもある。そんな話です。
イチローが発達障害だとすると、あの自閉的な視線はなるほど納得がいきます。しかしそういうことよりも、去年はずっと内面を見つめていたんだな、と思うほうが自然のような気もします。去年の彼の眼はブラックホールそのものだった。ブラックホールの中から外を見ようとしても、そこからは何も出てこない。そんな視線だったのでしょう。彼自身も、周りの人々も、去年はたいへんだったことでしょう。今年、彼の連続200本安打が途切れるといいな、と思います。もう十分です。ごくろうさま、ありがとう、イチロー。
この文章は2011年の夏に書きました。書いたとおり、イチローの200本安打は途切れました。その翌年、彼はシーズン中にヤンキースに電撃移籍します。いろんな切れ目にはいろんなことが動くのですね。こう書いてくると、幾人かの相談者の顔が私の脳裏を去来します。相談者の切れ目とは、それまで自分を苦しめてきたファンタジーが切れるということです。自分の期待やら希望やらが崩壊するということです。それによって事態は大きく動きます。彼がもしアスペルガーだとしたら、当然のことですが、アスペルガーの人の人生もそうやって動くものだということです。万物は流転する、止(とど)まっているものはない、ということです。量子力学では、ゼロ点運動と言って、絶対零度の世界でも素粒子は運動を続けているということが分かっています。