こころが制限を外すということ、こころが死ぬということ

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【新しい自分を知る。古い自分を生きなおす。そして新しい自分と古い自分を越えていく。】
このサイトのURLは、solea.meですが、ここには、新しい自分を知るという願いも込められています。
soleaとは、自分を白日の元にさらす、自分をよく知るという意味もあります。

1974年3月、私は高校2年生、17才でした。終業式が終わって学級のお別れ会がありました。私はそういうものは必ず欠席するようにしていたのですが、その日はなぜだか覚えていませんが、出席しました。(本当はこのこころの動きが大切なのですが、今となっては覚えていません。)その中で劇をやるというので役割をくじびきで決めました。私は準主役のいじわるおじさんでした。

私は高校ではほとんど口をきかない生徒でした。沈黙を守りとおしていました。それは私がどもりだったということもありますが、それよりも、進学校ということもあって受験勉強に明け暮れる生徒とは口などききたくないという思いがありました。そういう高校生は今も少なくないと思います。実際、高校2年のそのクラスでも誰かと話をしていたという記憶はあまりありません。ひっそりとそのクラスで生息していたという言い方が的を得ています。(が、そのクラスに好きな女の子はいました。)別のクラスに数少ない友人がいたくらいですが、その友人とは今も親交があります。

それで準主役の役です。自分がこんな役をやっても誰も喜ばないだろうなと思い、どうしようかなと思ってしばらく考えていたと思います。誰かに代わってもらうこともできたでしょう。その役を書いた紙を係りの人に渡して、無言でクラスを出るということもできたでしょう。そうやってその場から立ち去るのです。これは別にネガティブなことだとは思いません。それも主張だからそういうことがあってもいいわけです。それも自分を守っている行動です。このクラスの連中とは一緒に劇などできるか、というりっぱな主張です。

私が取った行動は何だったかというと、その役をやってやろう、という行動でした。何か追い込まれていたものもあったのでしょう。どうして役をやろうとしたのか、理由はいまだにわかりませんが、とても昔の懐かしい自分が出てきていたのかもしれません。小学6年のころの私は、それまでの私と違って、一番無邪気さが全開していたころだったように思います。私はADHDでもあるのですが、ADHDの子どもは脳の重量が普通の子に比べて軽いのです。つまり乳幼児から学童期にかけて発達遅延があるのです。しかし10才の壁を越える頃には脳の重量が通常レベルに追いついてADHDの衝動的な症状が落ち着くと言われています。その衝動が落ち着いた小学6年のころの私、その頃の懐かしい自分がやってきていたのかもしれません。

クラスの人も私が準主役をやることに不安だったようです。劇が台無しになるのじゃないかと思っていたようです。私は円状に並べた椅子の一つに座り、学生服のボタンを一段づつズレさせてかけ直しました。そして髪(当時肩までの長髪でした)をぼさぼさにして、しわがれ声(田中角栄のような)で自分の役を演じました。どのようなストーリーだったか覚えていませんが、台本を渡されるのですが、かなりアドリブを入れてやったように覚えています。クラスの人はびっくりしていたようで、終わったあとかなりの人が私に話しかけてきました。私はいつもと変わらず、ああとか、うんとかの返事しかしませんでした。私にはそれほどの高揚感はありませんでした。何かの達成感もないし、何か新しいことをやったつもりありません。ただ、私はあの小6の頃の懐かしい自分を体験していただけのように思いました。それが胸に染みるように感じていました。そう、胸に染みてたんですね。

クラス会が終わって喫茶店へ流れる人が多かったのですが、私はいつもと同じように一人で帰りました。そして横浜駅西口のオカダヤの7階にあったすみやレコード店に行き、目星をつけておいたジョン・デンバーの The greatest hits を買って帰りました。春休みはこのレコードをずっと聞いていました。何かが変わったわけではないけれど、春の風やらこれから動き出す自然の空気やらをいつにも増して感じていました。それは本当にささいなことです。何の変哲もない日常がただ流れているだけなのですが、自分の中では何かが終わったような、何かが死んだような感じがありました。こころをこれまでしばってきたもの。しかしそれがあったから生きる力にもなっていたもの。生きようとする活力をくれていたもの。それが、その日、死んだ。もう生きようとしなくてもいい、という実感です。力が抜けました。これまでがんばって制限してきたものが外れて、こころが死んで自由になったのです。

このあと誰かと特別話しをし始めたということはありません。あいかわらず高3の新しいクラスでもダンマリを決め込んでいました。卒業近くになったとき、クラスの学級委員だった桑原君がやってきて私に声をかけました。「高間君は誰とも話しをせずに一人でずっと居た。僕にはそれがうらやましかった。」つまり傍目(はため)から見ると高3でも高2と同じように「ひとり」をやっていたわけです。しかし、高3のひとりは、高2までのひとりとずいぶんと違っていました。ストレスが何もない。こころの制限が何もなかった。完全に自由に「ひとり」をやっていたのです。

こころが死ぬとは自由になった状態です。自由に一人でいる状態。未来にも過去にも生きていない、「今」に生きている状態です。今生きて、次の瞬間には死んで、またその次には生まれる、そのような状態です。これは精神分析的に言うところの抑圧が外れた状態です。こころの制限が外れた状態です。制限が外れることで、「今」に生きながら「今」の自分から離れることができた。今までの自分、不自由に1人を演じている自分からいったん離れないとクラス会での寸劇はやれなかった。これはいままでの自分と違うことをやるので無意識的には大きな恐怖がある。しかし、そうやって自分から離れることで(こころが死ぬことで)、小学生の懐かしい古い自分と再会した。この出会いによって、これまでとは違う、新しい自分(自由な1人を楽しむ自分)と出会えたのでしょう。

寸劇をやろうと決めるまでの時間は一瞬ですが、私にとっては特別な時間だったのだと思います。これは葛藤しているだけの時間でもありません。「これが自分なんだ」という確信にも近い思い。その思いを、自分のこれまでの人生からも離れて、自分を感じている。そんな特別な時間だったのでしょう。

こういう確信に近いものには、一般的に言うところの、ポジティブとかネガティブとか、そういう現世的な色合いはありません。ポジティブでもネガティブでも、どっちでもいいのです。それは取るに足らぬことです。だから新しい自分は、ダンマリを決め込んでいても、はた目から見たら前とちっとも変わっていなくてもいいのです。

カウンセリングで相談者の悩みがピークに達したとき、いわゆる底をついたとき、新しい地平が開きます。この瞬間、相談者のこころは確かに死んでいるのです。そして特別な時間を体験しているのです。その時間を体験する中から、新しい自分の誕生を見るのです。いわゆる脱皮するわけです。このことを精神科医の辻は「胎内にいたときに体験している原体験(万能感)から分化した新しい精神機能と、それによって再構成された原体験が、ひとつのものに包含されていく体験」と言っています。

死んだものは「ひとりでいるけれど、不自由を感じている」思いです。死んだあとに感じていたのは、何の思いもなく自由に1人で居られるという思いです。ただ、息を吸って吐いているだけの自分、それが自分であるという感覚です。その新しい自分との遭遇です。これまで不自由に1人で居たが、これからは自由に1人で居られるという安心感がありました。不自由な1人は孤独ですが、自由な1人は孤独ではないのです。

私の体験は非常にささいなものですが、こんな一瞬の間にも、こころが死ぬということを実感しているということをお伝えしたかったのです。カウンセリングに来ている人たちの体験するこころの死は、もっとダイナミックなものですが、同じような過程を経て死んで再生して行くのです。

また、精神科医の高橋はこのことを次のように言っています。

心はより広く、より楽になるために、自ら進んで、制限を外す。外した瞬間はこの世で生きるバランスを失い、まっさかさまに死の淵に落ちていってしまうかもしれないが、しかし、どうも心は、そこをはなれてしまう力も持っているようだ。壊れるものがあって、死があるが、そこで終わりではない。一度、滅びたものは、より高い次元で新しい秩序を作り出す。それは、より柔軟で、安定したシステムである。その結果、心はより自由になる。守るべきものがなくなったか、小さくなったからである。心が死んで、残ったもの、新しいものが生まれる前にあるもの、それがもっとも深いところにある、自分の心の核である。その核からそれまでの自分の心を見ること、これが「心をはなれる」ということである。その体験は一瞬のこともあるし、しばらく続くこともあるが、気づきの瞬間に介在する時間である。

不安や恐れがあると不安定になります。私たちはこころを守るために、情報を制限します。つまり、こころに「感じるな」と命令を出します。この制限によってこころは縛られるのですが、同時にこころは守られるのです。この状態は緊張を感じているわけですが、同時にこれによって生きる力を与えられます。これは活力なのですが、同時に悩みの種です。トラウマ(心的外傷)を負った人は、こころを守るために身体を緊張状態に置きます。緊張して外傷を噴出させないためです。噴出が食い止められているために、こころは傷つかなくてすみます。ですからPTSDに対する対処は、リラックスさせればいいというものでもないのです。リラックスすることで抑圧が外れ、外傷が噴き出して、より深い傷を負ってしまうこともあるからです。このような傷を治療的トラウマといいます。トラウマを治療していく過程で、治療者が意図せずに患者に与えてしまうトラウマです。ですからトラウマのセラピーではそのあたりに注意しながら慎重に進みまなければなりません。

催眠がいいときもあれば悪いときもあるのと同様、リラックスもいいときもあれば悪いときもあるのです。

こころはより自由になるために楽になるために、みずから進んで制限を外そうとします。しかし、この「制限を外すこと」というのは怖いことでもあります。それは、これまでの自分ではなくなるからです。これまでの自分とは、夫や子どもなど家族や仕事の同僚との親密な関係を維持していた自分です。社会からも家族からも期待され認められていた自分です。その中で精いっぱい頑張ってきた自分です。制限を外したこころは、このような自分から離れてしまいます。その結果、家族や友人からは冷ややかな目でみられたり、自己中になったとか評価されたりします。前の自分から変化したことを悪く言われたりします。評価が下がったりします。実際は、周囲の人とのこれまでの関係が変質しているだけなのに、周囲の人がそれに気が付かないだけなのです。

制限を外したこころは自由になっていますので、これまでの関係が変質することの恐怖によって昔のように戻ろうとするかもしれません。その自由によって新しい自分を生きるときもあります。また、昔の自分とか新しい自分とか、そのようなものさえも離れて自然と一体になって生きている自分を経験するときもあるでしょう。ただ呼吸しているだけの自分を感じるときもあるでしょう。これらは、どれを感じてもいいのです。自由だから、昔のようでも新しくても、そんなことは感じていなくても、どれでもいいのです。これが制限を外したこころの再生です。守るものがなくなっていますから、こころが開放されているのです。

最後に、相談者の方が語った夢の話が今回のテーマをうまく表現していると思いますので簡単に紹介しておきます。

以前、夢で見たことです。今は喧嘩別れしてしまった親友が出て来て、その人に向かって「死にたい」と自分が言うのです。気持ちの上では死ぬに死ねないのですが、それを知ってか知らずか、親友は私に言い放ったのです。「あなたのことは私が分かっている。だから死んでいいよ。」と。夢から醒めた私は、その言葉の意味を理解できませんでした。そのときは、なんて冷たいことを言う親友なんだと憤慨しましたが、今自分がこのような状態でいられる(高間注:もうすぐ相談が終わりに近づいている状態です)ときに思い返すと、その人はかけがえのなかった人、私に本当に必要だった人なんだと分かるのです。
どうしてそう思ったのかと言うと、それまでずっと死にたい気持ちがありました。何十年も、ずっと。でも死ねない。それはなぜかというと、私が自殺しても母親はどうして私が死んだのかを理解してくれないだろうと思っていたからです。それは悲しい。だから死ぬに死ねない。そういう状態が何十年も続いていました。けれど、今こうやって母親との関係が変化してきて、今では母親は私の気持ちをよく分かってくれています。夜ハグしてくれることもある。それは私の思い込みではなく、実際に通じ合っている感覚を感じています。私のことをようやく分かってくれたのです。私も積年の肩の荷がおりた感じです。だから、安心して死ねる。もう私は自由です。ようやく死ねるんです。嬉しかったです。あぁ、死ねるんだ、嬉しいな、そんな感じです。生きていてもいいし死んでもいい。その自由です。それを自由に選択できる自分が居ます。こんなに楽な感じ、安心感はこれまで経験したことがなかった。どっちもでいいのです。生きても、死んでも。安心して死ねると思ういうことは、どっちでもいいのです。生きても、死んでも。

私はこの話を聞いていて、ただ一言「良かったね」と返しました。その人が感じていた安心感と同質であろう深い安堵感が私の中に広がっていました。私もそれを、生きても死んでもどっちでもいいという自由を、味わっていました。

高橋は、死を許すことができたときには死への圧力は弱まる、と言います。死んでいいと思えたときに(もちろん、現実のつらさはあいかわらず容赦ないのであるが)、死しか解決はないと思い込んで追いつめられていた気持ちは小さくなる。自責感と恐怖感もほんの少し和らぎ、悲しみの前に小さくなる。このほんの少しのこころの変化が私たちを救う、とも言います。

この相談者の方は、この変化を感じ取ることができて、死ぬことを自分に許せたのです。本当に死を選ぶこともできるようになった。つまり、こころの制限を外すことができ、選択の枠が広がった。死んでもいいし、もちろん生きてもいい。このような体験を通過された方が死ぬことはめったにないのでしょう。

参考文献:治療精神医学の実践~こころのホームとアウェイ(辻悟)
心をはなれて、人はよみがえる~カウンセリングの深淵(高橋和巳)

こころの死ということで質問をいただきましたので、ご一緒に考えてみたいと思います。

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「夢」という眠りの中での「死」について。

「夢」の中で、自分が「死ぬ」場面は、
精神分析的視点の「抑圧」からの開放を意味しているのでしょうか、
もしくは、クライアントのお話が「底」につき、新しい自分の誕生を
迎えた状態と似たような、「なにか」があるのでしょうか。

また、「夢」の中の「死」でもいろいろな場面があると思います。
自分から選んだもの、他者にされたもの等、ございますが、
この度のテーマとは、関連性がないのでしょうか。

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夢の中の死ですが、一般的にはユングの分析心理学では、死は再生とセットで捉え、死ぬということは生まれ変わることと考えるようです。古い自分から新しい自分へ生まれ変わるということです。

フロイトの精神分析では、夢は願望を充足させるものと捉えるので、死は何かの願望を表したものと見なします。知人が死ぬ夢だったら、その人へ対する無意識の攻撃があるとか考えます。自分が死ぬことについては、死ぬほど苦しいことがあるのだと捉えます。

ユング的に考えるのかフロイト的に考えるのか、それはどっちでもいいように思います。私の少ない体験では、死ぬ夢がすべて再生を意味するかというと、そう簡単にはいかないようです。心情的には、あぁ、生まれ変わるんだと思ったほうが、気持ちが晴れやかになりますが、現実は夢の通りうまく行かないことが多い。どうしてうまくいかないのか。そこに夢を見る人の期待が入ってくるからかもしれません。期待というのは予定調和を作ります。作為的になります。ですからスピリチュアルな修行などをして夢をコントロールできるようになっても、あまり意味はないように思うのです。

私は瞑想によって体外離脱を体験しましたが、それがあまり意味がなかったのと同じように思います。こうゆうのは予定調和のデメリットですね。純粋な体験から遠ざかるということです。

つまり、夢を見ていくときは精神分析的に願望充足として見ていく。そしてここぞ!というときにユング心理学的に見る。そういうふうに私は夢を眺めています。でも、私は、精神分析やユング派の正式なレッスンを受けたわけではないので、なんちゃって夢分析の領域を出るものではありません。その程度のことしか言えないのです。(この夢の話もその程度のこととしてお読みください。)

さて、何か連続性があるような、ストーリーの続きのような夢を数か月くらいかけていくつか見たとします。その中で死ぬ場面があり、そのあとの日常生活が少し変わったなら、その死ぬ場面は死と再生を象徴していたものかもしれません。そのように、夢の意味というのは、しばらくしてから分かるというのが、正しい心理学の使い方だと思います。夢の意味は後(あと)から分かる。予言として使ってしまうと、そこは分析者の作為が入ってしまうので、夢の純粋なエッセンスが蒸発してしまうように思います。

死と再生を意味する死の場面を夢で見る人は、日常生活の場面では、だいたい大きな葛藤を体験しています。日常でそれなりの苦労をしている。生きるか死ぬか、ということを実際にやっています。そしてにっちもさっちも行かなくなったときに、夢の中で自分が死ぬ夢をみるのです。そして、それに救われる。自分が死ぬことに安堵感を得る。そのような夢をみたとき、その夢は死と再生を表現しているのかもしれません。これも「夢の意味は後からわかる」ということですね。

クライエントが何らかの「底」につくには、日常生活で、生きるか死ぬかの瀬戸際の葛藤していることが必要です。夢は無意識の産物ですが、無意識が動き出す前には、意識の壮絶な戦いが必要です。このような意識的な自己を認識していることが、無意識をよりよく利用するためには必要なのです。だから、無意識だけにコンタクトするのもいかがなものかと思います。意識のレベルが無意識のレベルをカバーしているほうが良い結果が出るように思います。ですから、催眠も、他者催眠より自己催眠のがずっといい。覚醒しているとき、意識(日常生活)の世界で、無意識(夢)の事象にふと出会うことがあります。白昼夢ですが、そういうことがその人の人生を豊かにします。このような出会い方をした夢は、予知夢になったりします。

夢判断を扱った書籍には、こういう場面を見たときはこういう意味だ、とかいうお決まりの解釈があるようですが、そういう解釈はカウンセリングの場面ではあまり重要ではありません。なぜなら、夢はあくまでも個人のものという常識があるからです。ユングの分析心理学では、集合的無意識という人類共通の無意識的存在があるはずだ、という考え方もありますが、それはそれで面白いのですが、それは分析者自身の嗜好を反映したものでもあったりするわけです。それではクライエントに申し訳が立たないと思います。私が夢を聞くときは、その人の個人の物語として聞くようにしています。それだけ夢というのは個人に属している大切なものである、というスタンスです。集合的無意識を持ちだすと、夢をみた人個人の創造力や哀しみや怒りから視点が外れてしまうことがあります。それでは、申し訳ないカウンセリングになってしまう可能性があります。

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