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ソレア心理カウンセリングセンター

2018.07.13 |虐待・DV・AC・解離・依存

ドメスティックバイオレンス(DV)

DVとは、Domestic Violence ドメスティック・バイオレンス、同居関係にある配偶者や内縁関係や両親・子・兄弟・親戚などの家族ばかりでなく、元配偶者や恋人から受ける暴力のことを意味します。



恋人からの暴力は、「デートDV」とも言われたりしています。結婚していない男女間での体、言葉、態度による暴力で、親密な相手を思い通りに動かすために複合的に使われるあらゆる種類の暴力のことです。

身体的、性的、経済的、言葉など、さまざまな形で暴力を受けると、まず身体的な症状が出てきます。肩の痛み、腰痛、腹痛、頭痛、慢性疲労などの心身症の症状が出てきます。その後、大半の人はうつ状態になります。これは当然です。誰でも暴力を受け続けるとうつになっていくのです。うつ以外では、不安、パニックが出てきます。強迫症状も出たりします。いつも不安でイライラし(これはうつがかなり進行した状態とみることもできますが)、パニックになります。イライラが出てくると、子どもなど弱い者に八つ当たりする傾向が出てきます。夫の怒りは自分より弱い妻へ向かいますが、妻は子どもに向かって怒りを爆発させるのです。

これ以外にはPTSD(特にC-PTSD:複合型心的外傷後ストレス障害)の症状がでる場合があります。C-PTSDとは虐待によるトラウマを持っていらっしゃる方に後遺症のような形で残る症状です。C-PTSDは、虐待のほかには、境界性パーソナリティ障害やアダルトチルドレンなどの状態とも親和性の高い症状です。具体的には、フラッシュバックが起きて、男性に殴られる夢を見たり、とても怖い悪夢を見続けたり、パニック状態に陥ってしまったり、無気力になり自信を失ってしまいます。

これらの暴力による影響は、配偶者間だけでなく、子どもがいる場合は子どもにも大きな影響が出てきます。目の前で茶碗が割れたり、妻がフロアに顔を押しつけられて涙を流しているような状況を見れば、誰だって情緒不安定になります。子どもはなおさらです。そして、不登校になったり、引きこもったり、家庭内暴力をふるい出したり、摂食障害になったり、いじめをしたり、いじめをされたり、非常に大きな影響が出てきます。

DVのある家族では、子ども自身も親に殴られる確率が高いのです。その意味では、DVは単に配偶者間の問題に止まらないということです。

さて、DVから逃げられない8つの理由というものがあります。

パートナーから暴力をふるわれているのに、なぜ逃げないのか、
一度家を飛び出しても、なぜ再び戻ってしまうのか、
その理由として次の8つがあげられます。

■なぜ逃げられないのか

1.学習性無力感(Learned helplessness)
心理学者セリグマンによって見出された絶望感です。なんどもなんども逃げられないという恐怖の状況にさらされていると感覚が麻痺してきて、逃げられる状況になっても逃げようとしないことを言います。無気力になってしまい動きが取れなくなってしまいます。感情が鈍磨して、痛みも苦しみもわからなくなった状態です。

2.依存症(嗜癖)(Addiction)
依存症とは、相手にすっかりよりかかる未熟な自己中心性のことですが、もう一つ見落としがちなのが、非常に強い独立の欲求、上昇志向、成功への欲求、いわゆる「独立性と力の誇示」を強くもっており、それに向けて頑張るという特性です。この「他者へのもたれかかり」と「強い独立性と力の誇示」が心の中で葛藤しており、あるときは他人へべったり、あるときは1人でどんどん進むという、まるで二重人格のように見た目が変わる人がいます。この状態を葛藤と言いますが、それが依存症の特徴です。相手に寄りかかることだけですと、依存ではなく単なる甘えであり病気ではありません。そこに、成功への欲求が葛藤状態で出現すると病になります。依存症については、共依存、強迫的反復とともに、別の記事で詳細に説明します。

依存症は中毒であり、暴力によりいったん離れても、そのうち配偶者が恋しくなります。なんとかやり直せるのではないか(これが成長への希求ですが)、なんとか立ち直ってくれるのではないか、と思ってまたひっかかるわけです。これを何度も何度も繰り返します。自分の意思でやめられないのです。世話を焼く行動が習慣化しているのです。

どうして何度も同じことを繰り返すのか。これは繰り返していることが決定的な解決策になっているわけでなく、横道に逸れたことをやっているためです。例えば、どうしようもない寂しさに対して、その原因をなんとかしようとするのでなく、食べ物や買い物などの横道に逸れたことで紛らわす人がいます。これらは、本道のことを扱っているわけでないので、一時的には満たされますが、また枯渇感が出てきます。激しい寂しさが出てきます。それによって同じことを繰り返すのです。これが依存症です。

3.共依存(Co-dependency)
共依存とは「世話焼き」のことです。なんとか頑張って、相手を立ち直らせようとします。私が居ないとこの人はダメになってしまう、という幻想を食べて生きている人です。つまり、誰かに自分を「必要とさせる必要」のある人のことを言います。そうやって相手をコントロールしていくわけです。これは自尊心が低いために、自分の周りの人たちを自分の良いようにコントロールしておかないと自分にとって安全ではない、という危機感があるから、コントロールするわけです。

依存症も共依存も進行性の病気です。何が進行するのか、それは人格の崩壊です。そのような怖い病気だという認識が必要です。しかし、夫婦で依存と共依存をやっている場合、共依存の人がそれをやめた場合、依存症が好転していく場合もあります。

人格が崩壊すると言いますが、人格とは何でしょうか。人格とは、その人が他人とどういう対人関係を作っているか、ということです。例えば筆箱にエンピツがぎっしり詰まっている様子を想像してみてください。筆箱はその人の人格、一つ一つのエンピツはその人にとって重要な人物です。「重要」とは、良い意味も悪い意味もあり、どちらにしても重要だということです。人格が崩壊していくとは、そのエンピツがどんどんと悪い意味で重要な人物に置き換わっていく、ということです。もし、人格を変えようとするならば、どれかのエンピツを捨てなければなりません。どれかを捨てて、新しいエンピツと取り替えねばなりません。つまり、変わるということは、何かを捨てるということなのです。限りあるキャパの中に何でもかんでも押し込むわけにはいきません。スペースを増やすには何かを捨てなければなりません。

決定的に人間が変化するときは、その人にとって最も重要なものが捨てられたときなのです。人は大切なものを捨てたときにしか変わることができないのです。これって難しいですよね。でも、症状が良くなるとは、こういうことなのです。


4.社会的・経済的考え方(Feminist view)
女性は殴られるのが当然だ、女性は経済的な力が弱い、だから、夫のもとを離れようとしても離れられない、という、男女不平等の社会システムのことを言います。社会心理学者のアン・ウィルソン シェフは、これを「白人男性市場主義システム」と言っています。世界中で男性主体のパワーゲームが蔓延(まんえん)しているのです。母子家庭に対する資源は、だんだんと整備され整いつつありますが、日本の社会はまだまだ弱者救済ができているとは言えないでしょう。DV法がもっと被害者救済へ向けて強化されていく中で、不平等な社会システムも改善されていかねばなりません。

5.マインドコントロール(Mind control)
オウム真理教で有名になりました。集団を強制的に密閉された空間に閉じ込めて外部との接触を遮断し、信者に同じメッセージを何度もインプットして、支配者・被支配者の関係を作っていくことです。これと同じことが、家庭内DVでも行われています。密閉されている家の中で、「お前がこういったから殴るんだ」とお前を悪者にして責任を負わせていくやり方です。こうすることで、強者・弱者の関係が知らずに出来上がっていきます。そしてお互いがその役割を取るようになり、それが固定化してしまいます。

これはいわゆる催眠状態ですので、弱い人の顔は、能面のようであり表情が乏しく感情の起伏もありません。

6.学習されたモデル(Learned model)---認知療法的視点による
認知心理学によると、親がDVに合っているとき、それを見ている子どもたちにも、それがしっかりと学習されます。殴ってもいいのだ、と学習されます(高間注:実際には学習されているわけではありません)。それによって子どもの対人関係のモデルが出来上がってしまいます。本来、対人関係は千差万別、色々な人間と多彩な対人関係があります。多彩な関係を結べるほど、人は多くの選択肢を得ることができ、困ったときにも適切な対応ができます。これは、その人の世界観が広い状態です。さきほどの人格の話で言うと、良い意味で重要なエンピツで満たされている状態です。しかし、DVの親を持つ子どもは、殴るというつながりでしか対人関係を見ることができなくなり、ずいぶんと窮屈な世界ができあがります。これが怖いのは、世代間連鎖をすることです。

子どもにはそれを乗り越えていく力もあります。しかし、何度もそのような状態にさらされていくことで、それを乗り越える力が奪われていくのです。弁証法的行動療法家のM.リネハンはこのことを「継続的に不当化された役割を取らされる状態」と呼んでおり、境界性パーソナリティ障害の中核因としていますが、これはBPDというより虐待の構造です。

この学習モデルは、C-PTSDとも言えます。認知モデルでは世代間連鎖を説きますが、人のこころの構造はそれほど単純ではありません。実際には、世代間連鎖しているように見えることがある、ということでしょう。


7.強迫的反復(Repetitive compulsion)
子どものときに親のDVがあったり、自分も虐待を受けていたというトラウマがあると、強迫的反復でそれを繰り返してしまいます。強迫的に同じことを繰り返すことで、自分が受けた辛い経験(恐怖)を乗り越えようとする心性が働いています。


8.希望の構造(Structure of hope)

家族からさまざまな虐待を受けていると、何か希望をもっていないくては生きていけません。殴られ、蹴られたりしている中で生きていくために、必死に何かの希望を持つわけです。

きっと誰かが助けにきてくれる。
きっと親は素晴らしい親に変わってくれる。

そういう無意識の希望をもって生きるのです。それがなければ、激しい暴力の中で生きていくことはできないので、これらは正当な希望です。

しかし、ここからが問題なのですが、この希望が一人歩きするようになってきます。この希望への依存が始まるのです。その希望がなければ生きていけないので、何よりも大切になってしまう。つまり「きっと誰かが助けにきてくれる」という希望が消えないことが、一番の重要事項になってしまうわけです。これはどういうことかと言うと、暴力を受けつづけることは、その希望が消えることに比べたら大したことではなくなってくるということです。その希望を消さないために虐待を延々と受けつづける、希望を自分の中に持ちつづけるために、暴力という状況が必要になってくるのです。

そういう状況になっている人が、環境が少し変わって、家を出られたとします。すると暴力がなくなってしまう。これはこの人にとって困ることになるのです。暴力がなくなってしまったら「きっと誰かが助けにきてくれる」という希望を持つことができなくなってしまうからです。だから、希望を失わないために、再び暴力のある現場へ戻っていくわけです。具体的には、暴力をふるう配偶者のもとへ戻ったり、別のパートナーを見つけたけれど、そのパートナーも暴力をふるう相手だった、ということになるのです。自分の希望を見つける行為を失わないように、何度も同じような人を選んでしまうのです。

これが希望の構造です。いわゆる、希望へ依存している状態です。一般的に、希望を持つということは悪いことではありません。しかしこういう形で希望への依存が起きてしまいやすいのが、DVを受けつづける人に共通に見られるパターンです。

何度もダメ男にひっかかったり女性は、この構造をご自身の心の中に自然に作り上げているわけです。そういう人はまずこの構造に気が付くこと。気がつくとは自分の頭で認知することです。その後、ご自身の感情を使い、ご自身の世界を広げながら、それを乗り越えていきます。そのためにトラウマワークがあるわけです。


「希望の構造」とトラウマについてもう少し説明を続けます。

トラウマを受けて育った人というのは、「きっと誰かが助けにきてくれる」、「きっといつか殴ることを止めてくれる」、「私の願いがいつかかなう」、「いつか素敵な人と結婚できる」という夢を持ち続けています。そのような希望がないと辛い現実を生き抜いていけないからです。現実を生き延びるためには必要なことなのです。

希望の構造とは、その希望がだんだんとふくらんで、希望自体が何よりも大切になってしまうことでした。「希望さえ持っていれば、虐待など平気だ」という状態でした。つまり希望を極大にすることで、虐待を受けているという事実を小さくする防衛機能です。

しかし、この希望が大きくなりすぎると、希望が人格をもったかのように一人歩きしだすのです。そして現実というものが見えなくなっていきます。引きこもりをしている人、摂食障害をしている人などは、たいてい大きな夢を持っています。「有名な大学に入って研究をするんだ」「アメリカへ行って女優の学校に入って映画デビューするの」「政治家になって世の中を救うんだ」そんな子どもじみた夢を持ち続けています。というより、子どもの頃からの夢とちっとも変わっていない。子どもの頃から成長していない。それでいて、家に閉じこもって、暴力をふるったり、ゲームをしたりしているわけです。自分の夢に全然近づくことをやっていないのに、夢だけはいっぱしのことを言う。

そういう夢を持ちつづけなければ生きていけなかった状況だった、厳しい思春期だったということを分かち合うことも大切なことです。そこへ追い込まれていかざるを得なかった状況を思いやりながら、でもその夢って自分にとってどうなんだろう、という話へ進めていくことが大切です。

希望の構造とは、幻想を持ち続ける子どもの心性なのです。

だから、自分の夢と現実にものすごく大きなギャップが生まれます。薬物、アルコール、セックス、パチンコなどの依存症になったり、境界性パーソナリティ障害になって感情のアップダウンに苦しむ、そのような自分の力ではどうしようもない状態に陥ります。

そして、ますます、幻想である夢にこだわり続け、それしか見えない視界の狭い状況に自分で追い込まれていきます。夢しか見ることができず、夢にエネルギーを吸い取られ、実際の生活がおざなりになってしまいます。まるで夢や希望が寄生虫のように、その人の背中にぴったりとくっついて精気を吸い取っているような状態です。だから何も見えなくなってしまうのです。

「音楽をやって成功するんだ。」そういう大きな夢も、子どもなら許されます。それが子どもが生きていくための手段であり、大切な栄養源でもあるからです。夢を見るのは子どもにとっては必要な仕事です。しかし、これをいい年をした大人がやっていたらどうでしょう。大人になったら、希望にいくら執心しようと何も起こらないことを知るべきでしょう。これが分からないと、現実において何の変化も起こってきません。子どもじみた夢を捨ててこそ、変化が始まるのです。子どもじみた夢を捨てることは、自分の世界観を広げることができる、それだけでスピリチュアルな出来事なのです。何かを拾うためには、何かを捨てなければならないのです。

これを捨てられないと、夢だけは大きく、しかし実現からどんどん遠くなっていくので、焦ってきて、どんどんと視界が狭くなり、自分はダメだ、能力のないやつなんだ、と責め出します。自分を責め始めると、他人も責め出します。そして親に暴力をふるい出すわけです。こうして、引きこもりの人は引きこもりになる練習、暴力をふるう人は暴力をふるう練習をしているわけです。希望の構造とはこのようなものなのです。

そうは言うものの、この希望の構造を必要とする時期もあります。トラウマの中へ落ちこんでいると自分を否定する感情の嵐にさらされています。この無力なファンタジーが少し変化して、「アメリカへ行って女優の学校に入って映画デビューするの」「音楽をやって成功するんだ。」と前向きになる。これは良いことです。無力な状態から希望の構造の状態へ持ち上がってきたわけです。そしてこの希望をかなえる努力をする。この努力も重要です。幾度となく失敗し、この努力は叶わないということが分かること、目覚めることが重要なのです。ここまでくれば、その希望は自分にとって不要のものと分かるでしょう。夢破れ、過去を振り返り、涙が枯れ果てるまで泣いて、その夢を捨てる。夢は捨てられたとき、自分の中にしっかりと取り込まれ、生きていく源になっていきます。こうやって夢を捨てることで肥やしにし、希望の構造を脱して、ニセの自分から本来の自分に生まれ変わっていくのです。

夢は捨ててこそ役に立つのです。

親に暴力をふるうことは、希望の構造から考えると子どもの未熟性ですが、それとは別に、親離れをする、父性を探している、などの良い傾向とも捉えることができます。要するに、その子がなぜ暴力をふるうのか、希望の構造のためか、それとも親離れのためか、それをしっかりと見極めてあげるのが親の役割ともいえるのです。しかし、これができない親は多いですね。それが子どもにとって不幸な現実となり彼らの行く手を阻みます。

■連鎖を切るためには

認知心理学の学習モデルでは、DVは世代間で連鎖していきます。親に叩かれて育った子どもは必ず自分の子どもを叩きます。親に叩かれておどおどしている自分の子どもを見ていると自分の過去が思い起こされ、自分もこんなふうにおどおどしていたという記憶が無意識のうちに呼びさまされます。それで何だか知らないけれど不安になって自分の子どもを叩いてしまうのです。(しかしこれは、トラウマ理論によると、学習されたわけではなくて、フラッシュバックとみます。親の暴力が伝染したとは考えません。そちらのほうが実際のこころの動きに近いです。)

このようにDVはトラウマとなって脳の奥底の記憶の彼方にしまわれているのです。それゆえDVを受けて発症する症状への治療は、トラウマ治療と同じになります。トラウマは、頭の中で言語として捉えられているわけではありません。それよりも、視覚的・感覚的なものとして、後頭葉や脳幹部の扁桃帯に蓄えられています。(言語としての記憶は側頭葉に蓄えられます。)このため、まず始めに取り扱うのは、言語ではなく、感覚です。こういう怒りがある、というのではなく、はらわたが煮えくりかえる、その「はらわた」感覚です。こうした視覚的、体験的感覚から始めます。言語で話しを聞いていくのはそのあとです。

DVの癒しの過程をみてみます。

I.安全性の確保
1.DVがあったことを認識する
2.DVの治療を行う場の安全性を確保する
II.グリーフワーク
1.心の傷を表現する
2.過去をやり直す
3.肯定的な意味づけをする
III.人間関係の再構築
1.健全な人間関係とは何か
2.自分の行動を健全なものにする
3.いままでの自己を超える

まず認識ですが、「いま息苦しい」「DVを受けている」「殴られたり力ずくでセックスさせられるのはおかしい」「人間として扱われていない」「自分が生きていることは間違っていると思い恥しかったが、それは変だ。間違っているのは自分じゃなくて相手だ」などに気がつくことです。逃げられない理由に気がつくことです。

この次にあるのが安全性の確保。殴る相手のいるところでは癒しはできません。すぐに出るのが一番いいですが、逃げられない理由のためにその場から出るのも、現実的には難しいものです。そのために、まず安全な場所を自分の中にイメージとして作ります。現実的にその場から逃げられなかったら、イメージの中で安全な場所を作ります。

方法は実際のトラウマワークの話のところでお話しますが、目を閉じて呼吸を整えてリラックスし、自分が一番安全だというシーンを心の中に作るのです。これまで行ったことのない場所がいいでしょう。全くの空想の場所です。どこまでも安全な場所、そういう場所を心に作るのです。

ただ、性被害や虐待が繰り返されている場所に身を置かれている場合は実際にとても危険ですので、外の機関に連絡を取ってください。シェルターを探すのが先決問題です。女性のためのDV相談室 などを参考に、女性センターなどの公共機関にまず相談してください。


次が心の傷を表現するグリーフワークへ移ります。ここでは劇やアートセラピー、音楽、身体の動きなど、芸術療法と呼ばれるセラピーを使ってワークを行います。「私はこんなふうに殴られた」「こんなことをされた」この事実を外に出していく作業です。内に秘めていてはトラウマが解消することはありません。外へ出す作業が必要です。安全な場所でトラウマを外へ解消させていくのです。

表現した後、過去のやり直しをします。DVや虐待のある場所で育つと人間関係が歪んできます。健全な人間関係とはどういうものかがわからなくなっています。それを知るために、擬似的でいいので健全な家族を作り直して「無条件の愛」を受け取り直すことをやります。親から子へ伝わる愛情は無条件でなくてはなりません。いい子でいないと愛情をあげないという条件付きの愛情は、親子の愛情ではありません。この無条件の愛情を疑似体験することで、愛とか信頼などを回復させていくのです。実感していくのです。この実感があって初めて、自分の子どもにもそれを与えることができるし、自分も大切にできるようになります。

肯定的な意味づけとは、これまでネガティブな自己イメージだったものを崩すことです。「自分はダメだ」「自分が生きているのは間違っている」そういうイメージを崩していきます。自分の体験した中に、必ず「いいもの」があるはずです。そうでないと、これまで生きてくることはできません。あなたが今生きているということは、地獄のような日常かもしれないけれど、それでもあなたを支えている「何か」があったはずです。その「何か」を探して肯定的な意味づけをしていくのです。

そして、健全な人間関係とはどういうものかコミュニケーションの取り方を始めから学び直し、自分の行動を健全なものにしていきます。これによって、生活するうえでのいろいろな選択肢が増えて自分の世界観が広がっていきます。これが自分を超えることです。この人間関係の再構築は終わりがありません。死ぬまで続きます。トラウマワークはここまでやって癒し作業が完了します。


DVを受け続ける人は、自分を犠牲にして他人の世話をする傾向があります。ここには相手に感謝されたい、相手から必要だと思われたいという隠れた動機があります。自己価値の低さをなんとか薄めたいという気持ちがあります。それによって、ダメな人から離れられない。ダメな人なら自分を必要としてくれるからです。これを共依存といいますが、この自己犠牲をやめて自分を大切にすることがまず必要です。他人の世話をする前に自分の世話ができているかを確かめることです。自分の権利というものを確認してみることです。

これらの権利を自然なことだと思えるようになることがDV治療の目標です。また、これらの権利は、共依存症の方の回復のためのスローガンとしても使えます。DV被害者は他人の世話をする傾向があります。これは共依存症の傾向そのものだからです。これら一つ一つが身にしみて身体の奥に入ってくるまで、毎日自分の声で読み上げるのも効果があります。(自分の声、というのが大切です。)

【自分の権利】
1.私にはいままで得ることのできなかった安定した生活をしてよい権利があります。
2.私には人生に楽しみを見つけ、いまこの時を楽しみ、この喜びをずっと持ち続けてよい権利があります。
3.私には健全な環境でリラックスしてよい権利があります。
4.私には健全な人たち、場所、状態を求めてよい権利があります。
5.私には自分にとって安全でないことや、心の準備ができていないこと、嫌なことには「ノー」と言ってよい権利があります。
6.私にはまわりの人たちとの身体的または精神的に危険な行動に加わらなくてもよい権利があります。
7.私には新しいことにチャレンジし、適当なリスクを引き受けていく権利があります。
8.私には自分の思考、態度、行動、言動を変えてよい権利があります。
9.私には間違ってもよい権利があります。
10.私にはできないことがあってもよい権利があります。
11.私には、害になるような人間関係から去ってもよい権利があります。
12.私には相手からバカにされたり、見下されたり、皮肉を言われたり、攻撃されたとき、会話を止めてもよい権利があります。
13.私には私のすべての感情を感じる権利があります。
14.私には、自分の身体から出るメッセージ、自分の決断力、第六感を信じてよい権利があります。嫌な感じがしたら、どうしてこんな感覚があるのか、身体から出るメッセージのそばにいてみましょう。
15.私には、人間として、情緒的にも、精神的にも、身体的にも、スピリチュアル(世界観)の面でも、成長を続けてよい権利があります。
16.私には、自分の考えや感情を健全な方法で完全に主張していい権利があります。
17.私には、自分に必要な時間と場所をとって癒やしをしていい権利があります。
18.私には、親や他人から学んだものの中から良いものを自分のものとし、悪いものは捨てていってよい権利があります。
19.私には、自分の生き方、自分の個性を大切にして、他人の目を気にしなくてよい権利があります。
20.私には、自分を愛し、自分の世話をし、自分の居場所を作ってよい権利があります。
21.私には、自分と他人との境界線がはっきりとわかっており、その境界線を守り、相手に侵入せず、また相手から侵入されない権利があります。
22.私には、自分が幸せになってもよく、自分の周りの人にも幸せを分けてもよい権利があります。

■DV加害者救済へ向けて

DV被害者援助と同様に、DV加害者の更正のための援助は重要です。なぜなら、当然のことですが、DV加害者が居る限り被害者がなくならないからです。DV加害者が自分でカウンセリングの場に来談するというケースは非常にマレです。ないことはないですが、もし、自分で来談されたとしたら、その加害者の治療は半分はすでに終了しています。動機付けがしっかりしているからです。あとは救済プログラムに乗せていくだけです。

DV法で強制的にカウンセリングを受ける縛りを作ってしまってくれるといいのですが、日本の法律ではまだそこまでの強制力はありません。アメリカでは、警察がDV問題の教育をちゃんと受けているので、DVとわかったら何はさておき加害者を逮捕します。そしてDV専門のDV法廷に加害者はかけられ、52回のカウンセリングプログラムを受けるように義務づけられます。毎週1回で1年間です。なかなかたいした回数のプログラムですね。

この回数にはエビデンスがあり、最初は30回だったそうです。それで犯罪率が25%くらいに落ちた。それを52回にしたら5%に落ちたそうです。かなりの効果があるわけですね。更正プログラムのメインは、特別な理論モデルに基づいた教育的な行動療法です。

DV加害者は、ひどく相手を殴っておいた後、急にしおらくなって自分が悪かったと心底(のようにみえる)から謝る人も多く居ます。それに被害者は騙されてしまいます。加害者は騙すつもりではないのですが、また被害者も騙されるつもりはないのですが、お互い何か許し合ってしまう、これは愛情ではなくて、依存=供依存の病態が進行しているだけなのですが、一時的に平安が訪れるので、なかなかこの関係から抜けられません。

このような人間関係の嗜癖は、認知や行動を変えていくだけではなかなか完治しないのも事実で、当然、再発もありえます。更正プログラムは教育的な面が強く、認知や行動面の改善を目指すものなので、そういう意味ではその場限りにならないとも限りません。ここを、完治へ向けて背中をちゃんと押すことができるスキルがカウンセラーには求められるわけです。

プログラムを教えるだけなら職員でもできるでしょう。カウンセラーは、認知や行動の変え方を教えると同時に、加害者の内面へも介入し、殴りそうになるときの身体感覚や感情や感覚をすくい取って、カウンセリングの場に乗せていくという大きな役割があります。これはカウンセラーが得意とするスキルです。それを自覚し、更正プログラムを有意義に使っていく必要があるでしょう。

具体的には、DVだけに限らず非行などの加害者には、

1.自分がやった事実を詳細に述べることができるか
2.自分がやった悪いことを漏らさずに述べることができるか
3.どうしてそれをしてしまったのか、自分の中にある原因がわかっているか
4.反省はしているか
5.新しい自分へ生まれ変わる決心はあるか

このような順番で、回復へのシナリオを組み立てカウンセリングを行います。特に3.は難しいですね。難しいけれどそれがないと4.の反省へつながらない。ここは発達心理学、家族心理学などの理論を援用しながら力動的なカウンセリングを行うスキルが問われるところです。カウンセラーの腕の見せ所です。このようなシナリオに基づきながら更正プログラムを使って行くのが犯罪再発防止に役立つわけです。

さて、DV加害者治療については、現在2つの理論モデルがあります。

1. DM(ドゥルース・モデル)
2.IMD(インネイト・メンタルヘルス・モデル)

簡単に説明しておくと、

1.はアメリカで一番普及しているもので、力とコントロールということにフォーカスし、どういうものを暴力と呼ぶのかを教育していくプログラムです。例えば「子どもをダシにする」のも暴力です。子どもの親権をやらないぞ、という脅しなどですね。「オレが稼いでいるのだ」というのは経済的暴力。そのようなことを教えていくわけです。何が暴力なのかを自覚してもらいそれを全部止めさせていくわけです。

2.は「自分たち人間には必ず生まれもった知恵がある」という前提からスタートし、「その知恵を使っていけば暴力にはつながらない」という部分へ持っていくプログラムです。人間は3つのものを持っている、それは「生まれ持った知恵」と「思いこみ」と「認識」、この3つです。

生まれ持った知恵があるので、生まれてきた子どもは、良い環境(この「良い」というのがクセモノなんですが)に置けば必ず良く育つ。
思いこみは誰にでもありますがDV加害者の思いこみは「お前があんなこと言わなければ、殴らずにすんだ」というものです。これは実に、子どもの心性で、主語が逆転しているのです。人のせいにしてしまっているのです。本当は「オレがあんなことをしなければ、殴らずにすんだ」なのですが、「殴る」という動作を示す述語部分だけ生き残って、主体が逆転してしまっている。

(この主体の逆転を投影同一視といいます。境界性パーソナリティ障害の人の行動を説明するためによく使われる防衛の一種です。この心性を気づかせていくことはプログラムではなかなか難しく、それこそ、個別カウンセリングが必要な部分です。自分のいたらなさに直面しそれを認めることができないので人のせいにする、というのは思春期にも現われます。家庭内暴力はその原理が働いています。引きこもっていた子どもが少し外に出られるようになると自分を刺激するものに遭遇する機会が増えます。すると自分のいたらなさを感じないわけにはいかなくなり、それに直面して自分の無力を認めたくないので、両親のせいにし暴力が激化するのです。怒りがまだ自分の中に吸収されていないために暴力が激化します。)

IMDは更正プログラムですので、「認識」の部分に力を注いでいます。気づきがなかったら何も変わらないからです。今あなたはどんなことを考えているのか、それをどんどんと追求しすべて聞き出して、それは他人の思いこみでなくてあなたの思いこみであることを教えていきます。この部分で、主体逆転を元へ戻すための個人カウンセリングが重要な要素となってきます。

IMDでは、間違った思いこみを切って、生まれ持った知恵へ帰るために次のような処方を行います。これは「本当にあなたが信じていること、やりたいこと、愛から出てきた行動には間違いがない」という考え方がベースにあるからです。

まず、3つの質問を自分にします。

(1)この考えを持つことで事態は好転しているか。例えば「お前が料理が下手だから、オレは怒るんだ」という考えを持つことで、相手との人間関係がよくなっているかと尋ねます。

(2)この考えを持つことは、気持ちいいことか。「料理が下手で怒ることは気持ちがいいか」とういことを自分に尋ねます。

(3)この考えを持つことは、腑に落ちるか。「なるほど、料理が下手で怒るのは全くもって至極当然、真実で納得できる」かと自分に尋ねます。

この3つの質問に「ノー」が一つでもある場合、その考えは本人にとって役に立たないから、その考え方を変えていきます。全部「イエス」なら別の問題に対して上の3つの質問を繰り返します。

考えを変えるやり方はとても簡単で、反対のことを植え付けるわけではありません。「料理が下手でも怒るのはおかしい」という反対のことを思い続ける必要はありません。じゃあどんなことをするかというと、頭のスペースを広げるのです。スペースが狭いとその考えだけに支配されてしまいます。少しスペースが広がると別の考えを頭に入れることができます。

具体的な方法として呼吸を変えて、少し頭を静かな状態にするというのがあります。このあたりはマインドフルネスのスキルが使えます。というより、スペースを広げるということ事態、世界観を広げることでありスピリチュアルなことでもあります。マインドフルネスが得意とするところです。息を変えたり、歩行瞑想をしたりすること。このメディテーションによって考え方が変わってきます。

こうして思い込みが変わってくると、別の選択肢に気がつくようになり、本当の自分と向き合えるようになり、生まれ持った知恵が出てくるようになります。

参考図書:ドメスティック・バイオレンス-被害者と加害者の癒し(西尾和美)
ソレア心理カウンセリングセンター