絶望感を話すことについて

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ある程度カウンセリングが進み、カウンセラーとも何でも話せる雰囲気になったとしても、クライエントさんのほうで何か言いよどんだり、言うのがいいのか言わないほうがいいのかで悩まれることがあります。

言いたいことはあるけれど言えない、ということはおっしゃりません。そういうときは大抵、沈黙が続いたりカウンセリングのキャンセルが続いたりしていて、こちら側で何かを察するときです。そのような言いたくても言えないような話は、ほぼクライエントさんの絶望感に密接にかかわっていることですので、こちら側もクライエントさん側もお互いにお互いを察しあい、言うか言わないかで悩み合います。

こういう話は、話すことで取り返しのつかないことになることもあるので注意が必要です。何でも話せばいいということではありません。カウンセラーはいつでもどんな話でも聞ける態勢ではいますが、それがクライエントさんへ脅威と写るときもあるようです。そんなときは、カウンセラーへ怖い気持ちをおっしゃって、そのことを話題にするのは止めておくほうがいいと思います。

しかし絶望感の話をすることで、問題の解決の糸口が見えると思ったら話すメリットはあるのです。クライエントさんとカウンセラーが絶望感のただ中に漂い、絶望し尽くした果てに気づきを得て楽になり、自己理解が進む場合です。要するにプラスになると思ったら話すことを決意するのも重要なことです。生きることから降りないために、その出来事を話されるクライエントさんもいます。そういう絶望の淵から話される内容はどんなものでも、ある種の尊厳を感じさせます。その尊厳がカウンセラーにしっかり受け止められたとき、クライエントさんの中で何かが急速に動きだし、浮上へ向けて進み出すように思います。

いずれにしても、話すか話さないかで悶々と悩むことが治療的なのです。

■治療者を査定する

治療が一進一退でなかなか進んでいかないときは、話すことも壁を乗り越えるための作戦となります。しかし、クライエントさんもこのときはカウンセラーを見定めなくてはなりません。人生の一大事を話すわけですので、慎重に見極めて決心をくだしてください。精神科医やカウンセラーの器(うつわ)のことはあまり話に登ってきませんが、相性の次に重要なもののように思います。ここで言う器とは、治療者側にある問題が解決している状態で、器が大きいとは、それらの問題がある程度解決している状態です。治療者に多いのは自己愛傾向や救世主気分でしょうか。これらはクライエントさんとの話の中で、逆転移という形で現われてきます。何か焦っているようだ、腹を立てているようだなどの気分が治療者から伝わってきたら、それが逆転移です。そういう違和感を感じさせる治療者は自分の問題が解決途上であり、器はさほど大きくはないと思ってもさしつかえないと思います。そうやって器は見極めてください。

相性が合わないと思ったら、言わないほうがいいです。相性はいいけれど、器が小さい場合も言わないほうがいいでしょう。ただ、器は小さいが、治療者が自分の逆転移を認め、それを利用しながら一緒にクライエントさんの問題を探求していこうという態度を見せるならば、少しづつ小出しにしながら様子を見ていくというのもいいかもしれません。治療者の逆転移を見抜くのは結構難しいです。そういうことを巧妙に隠すことに長(た)けた職業人だからです。クライエントさんのほうは、あくまでもご自身の感覚に忠実に、少しでも「この治療者なんか変」と思ったり、相性が合わなそうだと思ったら、素直にそのことを聞いてみることだと思います。そんなことを聞いてもいいのか、と思うかもしれませんが、これまでの膠着(こうちゃく)した関係が溶け出して、そこから治療の糸口が見えてくることもあるからです。それで怒り出す治療者なら、心理療法のABCについてよく分かっていない可能性があります。そういう場合は、さっさとカウンセリング自体を辞めておいたほうがいいでしょう。

■治療者が思い描いていること

治療者側も、言うか言わないかで悩んでいるクライエントさんを前にして、あれこれ思い悩みます。聞いたほうがいいのか、このまま聞かないほうがいいのか、と。しかし、クライエントさんがもう少し踏み込んできてほしがっているかもしれないと感じたなら、その感じ(これも治療者の逆転移ですが)を話題にしながら、話の深部へ踏み込むかどうかをクライエントさんに相談することが治療的です。もしクライエントさんからOKがでれば、治療者も決意して、その話題の中心部へ踏み込む態勢を整えます。

この決意とは、橋を焼き落としてクライエントさんの内的世界へ入っていくことへの決意を意味します。橋を焼き落とすというのは比喩ですが、こちら側(クライエントさんの日常世界)からあちら側(クライエントさんの内界)へ向うときに渡った橋を焼き落とすということです。つまり戻り道を焼き捨てる覚悟でクライエントさんへ向うこと。その決意が治療者側にないうちは、治療者側でも絶望感を聞く態勢になっていないと思っていいでしょう。

クライエントさんの絶望の深部は、中途半端な気持ちで分け入ることはできません。それこそ「言わなきゃよかった」という取り返しのつかないことになってしまいます。絶望感を聞くということは、クライエントさんが決心するのと同様、治療者にもそれなりの決心がいることなのです。生半可でクライエントさんの絶望感に触れることは許されません。その絶望感に対峙(たいじ)することに感謝する気持ちがカウンセラー側に沸いてこなければ、踏み込むことは止めなければなりません。そういうクライエントさんに対する感謝の気持ちが治療者になければ、カウンセリングは進展していかないからです。これらはカ治療者側に要求される態度として書かせていただきました。

また、クライエントさんのほうで、具体的な内容に触れるわけではなく抽象的に話をすることもあります。これは具体的なものを直接出さずに抽象的にオブラートで包むことであり、クライエントさんの自己防衛の一つですが、治療者としては、そのことに敬意を払っているべきです。抽象的ですが、そういう形で出してきてくれていることに尊敬のまなざしを向けるべきです。治療者のほうとしては具体的なもののほうが扱いやすいという思い込みがあるのでしょう。具体的に言語化してくれたほうが感情に触れやすいという経験則からの思い込みだと思いますが、抽象的なものはイメージ(おもかげ)療法や絵画療法、夢療法など、象徴的なイメージを媒介とする心理療法で対応可能なので、もしもそれがやり辛いと感じるならば、クライエントさんのほうを責めるのでなく治療者のスキルアップを目指すべきです。これらの技法を使って、カモフラージュしている話題の周辺を散策することで、意識せずとも核心部に触れているということも多いのです。クライエントさんの言語化による開示は必ずしも必要なことではないのです。

■治療者の逆転移について

さて、これまでのお話で、治療者といえども逆転移を起こすことが分かったかと思います。逆転移はそれを上手く生かすことのできる治療者ならば治療的に働きますが、自分の逆転移の扱いに慣れた治療者ばかりとは限りません。ですから、クライエントさんが話しの深部を話すときは見極めが必要です。カウンセラーは訓練されているので自分の逆転移を察することはできますが、なんでもかんでも扱えるわけでなく、特に性に関しての話題については注意が必要です。

性は根源的な話題です。絶望感漂う話の中に、微細に彩(いろど)られてくる話題です。この話に、自分を隠しながら動揺する治療者は多いようです。
特に女性のクライエントさんが女性の治療者(精神科医やカウンセラー)へ打ち明けるときは要注意かもしれません。カウンセラーは自分の逆転移を見る訓練をしていることも多いので精神科医ほど問題になることは少ないかもしれませんが、精神科医は心理療法の訓練を特別に受けている人は限られるので、注意されたほうがいいと思います。性的な話題で、女性の治療者側に嫉妬感情が無意識的に湧きあがっていることがあるのです。それは無意識的なものなので治療者側にも察知することはできません。嫉妬感情を自覚できている治療者はそういう意味では、よい治療者と言っていいかもしれません。治療者に話をしてしまってから急に態度が冷たくなったり突き放されたりするような感じを受けたときは、そのことを話題にするといいでしょう。それで反省する治療者ならカウンセリングを続行しても問題はさほどないかもしれませんが、それをクライエントさんのせいだけにするような治療者ならそこでカウンセリングは止めたほうがいいでしょう。クライエントさんが傷つくだけですので、実りあるカウンセリングは期待できません。(これは先にもお話しました。)

■治療者に対する違和感を利用する

つまり、言うか言わないかは、クライエントさんが決めることですが、言うと決心するまでにカウンセラーがそれを受け止めてくれるかどうかは、クライエントさん側で査定するようにしたほうがいいのです。査定するのは難しいし困難が伴うかもしれません。しかし、それを査定するという行動自体に治療的な意味もあるのです。それは「査定できるだけの力が戻ってきている」という裏返しでもあります。これはクライエントさんが治療者を信用しているとか、信用していないとかの問題ではなく、そうやって治療者はクライエントさんに試されるべきですし、クライエントさんが治療者と適切な距離を取るという意味でも推奨できる行為のように思います。(依存しすぎないようにする効果もあります。)

この人なら大丈夫と思って、おそるおそる話をした結果、結局受け止めてもらえなかったというケースは以外と多いのです。精神科医は心理療法の専門家ではありませんが、カウンセリングマインドをもっている人もいます。しかし、そういう人にでさえ、うっかり話をしてしまって傷つくということも少なくありません。また、心理療法家でも、自分の問題が解決していない人も少なからず居ます。そういう人もクライエントさんを傷つける予備軍です。名が知れたカウンセラーなら大丈夫かというと、そういう人は自己愛の強い人も多いので、相性が合えばいいですがなかなか難しかったりします。それならばクライエントさんはどうすればいいのかを、もう一度まとめてみます。

・話すまでに数回カウンセリングをして様子をみます。不思議に思われるかもしれませんが、あまり治療に積極的なカウンセラーには話さないほうがいいかもしれません。クライエントさんのペースが崩されるおそれがあります。クライエントさんと治療者がお互いに巻き込みが生じるおそれがあります。積極的な感じよりも、正直な感じを持たれた場合は、話をしてもいいかもしれません。

・経験の浅い若い治療者に対する対応は、正直な人なら話してもよいでしょう。そのような治療者はクライエントさんが話すことで、ほぼ必ず揺れます。しかし、クライエントさんがそのことを話題にしてあげると、カウンセラーも自分の問題を振り返りながら共同でクライエントさんの絶望感へ取り組んでくれる場合があります。これは、クライエントさんと治療者、双方が共に成長していける環境が整うということです。

・ある程度経験のある治療者はどうでしょうか。これは治療者が揺れているかどうかを見破るのは難しいです。それは絶妙に逆転移を隠すことができるからです。しかし、クライエントさんは、治療者に対して何か違和感のようなものを感じることがあります。その違和感を大切にされ、それを治療者に話してください。優れた治療者なら、その違和感の種が自分から湧き出ていることに気がつき、反省し、クライエントさんに感謝し、そのことを話し合いながらクライエントさんがそう感ぜずにはいられない背景となっているもの、つまり絶望感の根っこですが、それに取り組んでいくことができるでしょう。

つまりクライエントさんの感覚(特に治療者に対する違和感)は重要なのです。第三者から見て、たとえそれが妄想がかっていても、火のないところに煙は立たないのです。逆説的に聞こえるかもしれませんが、カウンセラーは熟練すればするほど、自分の弱みを隠すのではなく、自身の弱みを見せることが長(た)けてきます。それはある種、ひとつの技術ですが、本気で弱みを開示していこうとする部分があります。それがクライエントさんへ治療的に働くのです。そして、この開示は本気でなければいけないのです。熟練したカウンセラーなら、リップサービスはクライエントさんにすぐに見抜かれることをよく知っています。

絶望感の話をしているとなにかに執着している話も出てきます。執着を断つことができないということも話題になります。しかし、執着など断てるわけがないのです。それは無理な話ですが、それを自分にどうプラスにしていくかが快復への鍵のように思います。何か素晴らしい体験をし、それが今は失われてしまい深い絶望感に居る。それに執着している、執着から離れられない。そんな話が語られます。そのような執着を断つことは不可能であるとさえ思います。執着はしていてよいので、その体験を自分の人生にプラスになるように、体験の意味合いを変えていくのがカウンセリングの目標になります。

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