新米ママでなくてもイヤイヤ期は大変【子どもにとっては人生初の反抗】

Woman with mask carrying toddler; Fraser River Park, Vancouver, BC こころの発達と発達障害
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イヤイヤ期は大変ですね。新米ママでなくても、第2子だって大変です。そんなとき、イヤイヤ期というのはどういう時期なのかを知っておくと子育てに余裕がでるかもしれません。

・いま子育て中、自立した子どもに育てるにはどうすればいいのか。
・子どもの成長過程で出てくる「恥ずかしい」という感情は、どのように人生に影響するのか。

そんな疑問を持って生きているあなたに、何かのヒントになればと思い、記事にしました。この記事のポイントは、

  • イヤイヤ期とはいったい何なのかを理解しておくと、子育てに余裕がでてきます。イヤイヤ期では自律を、思春期では自立を獲得する。(前半)
  • 自立へ向けて成長していく中で恥ずかしいという感情が表出されて、それが人生の機動力となっていく(後半)

■自律は行動、自立は精神の発達をうながす

Woman with mask carrying toddler; Fraser River Park, Vancouver, BC
母性から精神的に離れるとき。

自律と自立、よく間違えて使われています。この2つ何が、どう違うのか心理学的に解説します。簡単に言うと、自律は【行動が発達】していくこと、自立は【精神が発達】していくことです。次のようなツイートをしています。

【自律と自立】エリクソンの心理社会的発達理論によると、3歳頃のイヤイヤ期(第一反抗期)に体得するのが自律です。自律とは【自分でできる】という感覚です。自立は、思春期が終わる頃、20歳過ぎに体得します。アイデンティティの確立ともいいます。社会の中で稼ぎながら生きていく力をつけるのが自立です。(ツイート改訂)

自律と自立は全く違います。英語にすれば一目瞭然。

  • 自律:autonomy で、欲望のまま動くのではなく、客観的なモラルに従って行動できる能力のことです。
  • 自立:independence, self-reliance で、主体的に、独立独歩、ひとりで立って歩いていくということです。

◇自律と自立を深堀りする

Red, green, and yellow leaves on boy's hands
これと あれは ちがうものです。

自律は、自分はできるという感覚でした。自分で欲望をコントロールできている状態です。おしっこがしたいと思っても、犬のように道端でジャーとやらず、コンビニが出てくるまでガマンできるというのは自律していることになります。

ときどき、そのへんでおしっこしちゃいなさい、というお母さんがいますが、あれは子どもの「自律」の尊厳を傷つけているのです。せっかく自分が身に着けてきたコントロール感を否定されるわけですから。そういうときは一緒になってコンビニを探してあげる。それでも見つからなかったら、「人に見られないようにしてあげるから、ここでしなさい」と物陰に誘導して、自分が盾になってあげ、おしっこさせてあげる。

自立は、自分はひとりで生きていける能力で、大人になって獲得できるものです。大人はひとりで生きていけますから。時期でいうと思春期を脱する頃、成人期1期と呼ばれる段階に達すると、自立したと思えるでしょう。

別の言葉でいうなら、アイデンティティが出来上がったということです。モラトリアムを卒業したともいえます。このアイデンティティ形成の時期は長くなっており、最近は25歳くらいまで思春期をやっている人も増えてきました。

ですから、余談になりますが、選挙権を18歳に下げた(*1)というのは、成長過程からみると、逆行しているように思います。皮肉な見方ですが、選挙権年齢を下げるから、早く大人になりなさい、という大人からの促しととらえれば、意味のあることではあるのでしょうか(笑)。

ところでアイデンティティとは何か?これは一言でいうなら【自分の倫理規範の完成】ということです。自己同一性の確立ですね。自我同一性とも言われますが、同じことです。自分とは何か?という概念は、倫理規範(*2)のことです。

さて、倫理規範といっても抽象的ですね。分かりやすくいうと【自分の生き方】です。これはどうして思春期を抜ける頃に完成するかというと、心理学的な説明がちゃんとあります。次の順番で出来上がります。人は、こうやって自立していきます。自律から自立まで20年かかるということです。

  • 学童期には、親から倫理規範(生き方)を学んで、親の生き方を実践しようとする。
  • 思春期に入ると、親の生き方は、自分の生き方ではないので、窮屈を覚えてきて、親の生き方を否定しようとする。これが反抗として表現される。親の生き方をぶち壊しながら、自分の生き方を模索する。
  • 成人期に入る頃、自分の生き方が完成する。そしてその生き方で生きようとする。社会へ出ていく。これがアイデンティティの完成。

たまに、大人になっている年齢なのに、親の生き方から脱することができないでいる人がいます。精神的な成長が学童期でストップしているわけですが、本人も、自分でない、親の生き方で社会を生きていくので大変です。その大変さも無自覚なことが多いので、なかなか相談につながりません。

思春期に覚える窮屈の度合いによって、反抗は小さかったり、大きかったりします。

◇成人に達しているかの判断

具体的に、臨床現場で、成人に達しているかどうかの判断をどうやっているかについて解説します。これは2020年現在の私の知見であり、これから変化していく可能性は大きいので、1つの参考として読んでください。みなさんの知見があれば連絡いただけると助かります。このページを更新していきますので。成人かどうかは、次の軸で考えるといいかと思います。

  • 子どもの小さな心配に気がつく⇒成人でしょう
  • 感情が豊か、反応がいい⇒これだけでは成人とは言い切れない
  • 一緒に感動してくれる⇒これだけでは成人とは言い切れない

成人とは言い切れないとはどういう人かというと、思春期、学童期、被虐待者、脳機能の問題ありなどの人々です。

■恥の感情が芽生えはじめるころ

自律をするのがイヤイヤ期でした。自律とは【自分はできる感覚】でした。さて、この時期に、恥という感覚の萌芽があります。この【恥】というのはどういう感覚なのでしょうか。次のようなツイートをしています。

【恥】というものは大人化していくには必要な感覚です。子どもの頃は恥ずかしいというのはありませんね。自分の欠点がバレるなんてことに恥ずかしさを覚えたりしません。ニキビとか欠点(にみえるもの)が気になるのは思春期に入ったということです。大人へ向かうと恥の感情が表出してきます。

心理社会的発達理論を提唱したエリクソンは、2歳~4歳の幼児期前期では「意識」を得ることが課題であるといいます。意識を得る?っていうのは分かりづらい表現ですね。先ほど説明した【自分はできる】という意識です。それを獲得する時期が、イヤイヤ期です。これに成功すると、自律を獲得します。

では、その獲得に失敗すると何を獲得することになるのか?それが【恥】の感情です。

これは自律と恥のどっちを獲得するか?という話ではありません。人は成功もすれば失敗もする。自律したり、恥ずかしがったりして、この両方を獲得しながら成長していくものと考えたほうが自然です。イヤイヤ期は、この【恥】の感情が出始める頃なのです。

おしっこもらして恥ずかしいのかな、と頭のかたすみのどこかで思っているくらいの感じ。大人がいだく恥の感情ではありません。それは、もう少し後になります。それは、思春期の話です。

■恥ずかしさを本格的に意識するのは思春期以降

School of fish in the sea
色々な可能性が出てくる思春期の頃。

本当の恥感覚は、イヤイヤ期ではなく思春期に入ってからです。つまり第一の反抗ではなく、第二の反抗のときに表出されてくる感情なんです。人間にとってやっかいですが、恥がないと他人とやっていけないので必要な感情ですね。下記のようなツイートをしています。

【恥】の感情は幼児期4~5歳ころに分化すると言いますが、それはまだ萌芽したばかりで未分化な状態です。変な言い方になるかもしれませんが、正式な恥ずかしさというのは思春期以降に分化します。つまり【社会を意識しだしたとき】です。例えば吃音を恥ずかしいと思うのは、他者を意識しだす10歳以降です。

心理学者プビルによると、「恥の感情を持つと、他人が自分の弱みを見つけてしまったらどうしようという恐怖の中で生きるようになる」といいます。他人というものを強烈に意識しだすとき、それは【思春期】です。

思春期の前段階として児童期があります。学童期ともいいますね。幼稚園(保育園)~小学生の頃です。この時期は、勉強する時期、勤勉性を身につける時期ですが、自分はできるという有能感が最大限に達します。同時に失敗したとき「自分はダメなんだな」という劣等感を感じます。この両方を感じながら成長していく時期が、思春期の前の段階です。この時期の勤勉性と劣等感は、エリクソンの心理社会的発達理論でも言われています。

そして思春期になると他人を強烈に意識しだします。異性への興味も、それに輪をかけます。他人とは社会です。成人になる前の段階なので、強烈に社会を意識しだす時期なのです。ここで、他人と違う自分に対して激しい恥の感情を感じ始めます。こうして生きづらさが出てくるのです。

恥も、生きづらさも、けっしてネガティブなものではありません。むしろそこから行動を起こしていけるポジティブなものとの捉え方もできますが、あえてそう考えるのはヘンですね。ありのままにいきましょう。

私が吃音を意識しだしたのは、中学生からです。まさに思春期ですね。小学生のときは、どもりなのは分かっていましたが、それほど意識はしていなかったです。だから、小学校6年生で〇〇委員とかやるじゃないですか、あれで放送委員やってて、お昼時に全校放送でしゃべってましたから。

ただ、そうやって大勢へ向けて発信するときにどもってしまったと意識したことはありました。校庭で全校集会をやっていたとき、進行は集会部ですが、音楽とかちょっとした放送は放送部が担当だったのです。ほぼ全部の進行が終わって、みんながクラスへ戻るときの音楽をかけはじめたとき、先生のほうで何か言い忘れたのかストップがかかったのです。放送を止めて、「もとの場所へ戻ってください。」と放送を入れないといけない。放送は職員室の片隅で行っていて、そこからは校庭の様子が手に取るように分かるのです。そこで、目に見えているみんなへ向けて放送しないといけなくなって、私は激しくどもったように記憶しています。他人が目に見えていると緊張するのです。そうしたら、集会部の佐竹君がかけよってきてくれて、事情を聞いてくれて彼が集会部のマイクでストップをかけてくれたのです。まあ、ありがたかったですが、自分のどもりを意識した瞬間でした。こういう瞬間はもう1つあるのですが、小学生のときに意識したのは、その2回だけでした。

ただ、中学生になってからは、どもりを激しく意識しだしました。もろに【恥】の感情全開です。どもりは恥ずかしい。異性も意識する頃ですから、うまくできない(上手に話せない)自分は最低だと思うわけです。そこから私の瞑想の旅が始まるのですが、恥の感情を感じないようにするために、始めたのが私の瞑想だったのです。

■まとめ

自律はイヤイヤ期が終わるころ、自立は思春期が終わる頃に体得するものです。そして自立とは自分の生き方が決まることを意味しています。アイデンティティの形成の話です。

恥の感情は、自律を獲得していく中で芽生えてくるものですが、それが人生を左右するくらい大きく意識しだすのは、思春期になってからです。人の目が自分の視界に入ってくる頃。この恥をなんとかしようとしてもがくのです。それは太刀打ちできないくらい大きな怪獣に思うかもしれません。渦中(かちゅう)にいるときはそうでしょう。しかしそれが成長につながって変質していったりするわけなので、人生、何が起きるか分かりませんね。

自律してから自立するまで20年はかかります。自分の子どもたちがしっかりと自分で立って、社会へ出ていけるようにと願うのは、共通した親の願いでしょう。

Girl in the aqua ; Musée océanographique de Monaco, Monaco
子育て 20年。

Reference:

(1) 改正公職選挙法, 20歳以上とされてきた選挙権年齢が18歳以上に引き下げられた, 2016年6月施行
(2)高橋和巳:「母と子」という病, 筑摩書房, 2016

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