またの質問をすみません。愛着障害には思春期がないとのことですが、では思春期の心理構造(親の規範との葛藤とそれを親にぶつける甘え)を理解し難しかったりするのでしょうか?また親になり思春期の子供を持ったら自分が思春期が無かったので理解が難しい上に、反抗という甘えをぶつけられ親密の恐れが強く刺激されながも、きちんと育てなくてはという気持ちが重なり葛藤がより苦しくなる感じでしょうか…?
たとえば次の条件のような人を想定して考えてみましょう。
- 愛着障害
- 治療を受けていない
- 思春期に入ったお子さんを持つ40代の主婦
思春期の葛藤を経験していないので、甘えと怒りを両方ぶつけてくる子どもには困惑するでしょう。しかし、いつものクセを発揮して、これが成人期の親のすることだと理解し、かりそめの成人期を発動して、いろいろと勉強しそこを乗り越えようとするでしょう。
しかしこれは頭での理解であって、子どもの気持ちをこころから理解しているわけではないので、その行動はすぐ子どもに見破られてしまいます。結果、余計に反抗がひどくなり、さらに困惑に追いやられますが、そこも「そういうものだ」ということで、どこに相談することもなく、ググって、ひとりで難局を乗り越えようとするでしょう。
「ひとりでなんとかしようとする」傾向が強いのです。ですからすべてが事後承諾になりがちです。「やっておいたよ」ということです。しかしそれは、子どもに共感してやっているわけではないので、労苦としてやっているだけなので、子どもは何も嬉しくありません。
そうやって親子の関係に秋風が立ち始めます。
愛着障害の母親をもつ子どもは、思春期もあるし普通には育つのですが、濃密な反抗を基盤とした思春期ではないので、なんとなくもの足りなくなって、さびしい思いもぬぐえきれません。そこはそのままではどうにもならないので、親のほうが愛着障害の治療を開始してほしいところです。
思春期の子供が親に求めているものとはどのようなものなのでしょうか?
コメントをありがとうございます。
思春期の子どもが親に求めているものは、正面からぶつかってきてくれることです。正面から受け止めてくれることです。
それができない親御さんは子どもの訴えから目をそらしてしまいますが、普通の親御さんは、子どもの訴えを真摯に受け止めて、一緒に考え、それでも分からなければ誰かの助けを借りて、自分自身で考えようとします。助けを乞う場合も丸投げではなく、常に自分が親として果たす責任を感じて、考えて、行動しています。
こういう親の態度を求めているのが、思春期の子どもです。
横から失礼します。
愛着のカウンセリングを受けているものなのですが、思春期に子供の求めているものとはどのようなものなのでしょうか?未熟な親は肝心な所で逃げてしまう感じがするのですが、普通の親は誰かを頼るということでしょうか。