高橋和巳先生の書籍を一通り読んだ者です。それから高橋先生の名前で検索して高間先生も知りました。以来勉強させて頂いております。いつもありがとうございます。
高橋先生は現在カウンセリング業はされておらず研修に特化されてるご様子で、高間先生はじめ高橋先生に学んだ先生方が高橋先生の臨床論でカウンセリングをされてるのをネットの世界で垣間見えることがありとても臨場感があります。
高間先生のクライエントさんの声は高間先生のラジオや質問箱で伺えますし、他の高橋先生系の先生のクライエントさんの声もクライエントさん御本人様の発信があったりして拝読させて頂いてます。
ですがそういう情報に触れる度に時々疑問符も浮かびます。それは愛着障害像に混乱が生じることです。
高間先生の文章を一番拝読してるので、愛着障害と愛着不全の切り分けは高間先生基準で理解させて頂いているのですが高橋先生系の別の心理士さんに愛着障害の認定(情緒的ネグレクト)を受けてる方の文章などを拝読してると「期待」「怒り」「自分を分かって欲しいという希求」が溢れていたりして混乱することがあります。バックナンバーを拝読しても全編に渡って同じ印象なので、愛着障害の治療中には、数ヶ月あるいは数年に渡って思春期心性的な印象になることがあるのか?それとも高橋和巳先生派としても(高橋先生のサイトにリンクが貼ってある直系の心理士さんのようです)愛着障害の判定は心理士さん各々で、高間先生なら愛着不全(愛着あり)になるところを愛着障害(情緒的ネグレクトで愛着無し)となる場合はあるのか?などなど色々と考えさせられます。
高間先生に質問しても仕方ないことをすみません。不採用削でも大丈夫です。ありがとうございました。
高橋和巳先生のいう「成人学童期」はわたしの「愛着不全」とほぼ同等です。それを踏まえて解説します。
人によって見立てが違うのはなぜか?というご質問ですが、
その心理士のもっている情報によって見立てが変化する
ということではないでしょうか。たとえば、愛着障害か愛着不全か分かりづらい場合は、その親の情報、あるいは子どもの情報、祖父母の情報などが判断基準としてはメインに浮上してきます。つまり、
本人だけの情報では見立てを決められない場合、親子三代の情報が役に立つ。
そこでとりあえずの見立てを作って、カウンセリングを継続している中で親に関しての決定的な情報が出てきて、それで本人の見立てが決定する、ということはよくあることです。
また本人が思春期的な話を豊富にしていても、カウンセラーの見立ては愛着障害で進んでいる場合もあり得るということです。その逆もありますね。
本人の客観的な情報を一番持っているのは、担当のカウンセラーですから、彼らが何を根拠に愛着障害としたかは、知る由もありませんが、何か決定的なものがあったのかもしれません。本人はそれに気づかずに、愛着不全のような言動を繰り返しているだけなのかもしれません。
カウンセラーがクライエントに対してどういう眼差しを持っているかが、カウンセリングの進路を決定づけます。そういう話は、現在執筆中の本の中にも登場します。乞うご期待ください笑。