11月24日のstand.fm気になりました。「関わりたくない」という感情は十分に自分の感情を理解してるように思ったのですが「なぜ?関わりたくないのか?」と掘り下げる必要があるということでしょうか?
また「関わりたくない」というのは感情でもあるけど、どちらかというと意思決定(関わらないでおこう)の側面がつよく、感情は十分には感じてないということでしょうか?
しかしここで思うのは、日々色んなことを受け流して行くには、どうしてもこのくらいでやり過ごせざる得ないように感じるということです。そう感じるのは私も感情がよく分かってないからでしょうか。
また「自分の気持ちを常に感じていること」とありますが、時間や場所をとって(瞑想とか)静かな場所で心を落ち着かせて心を観察してみれば、その時間は感じれるかもしれませんが(でも実際はたった5分でも常に感じるのは難しいです)日常で人と関わりながら色んなことをこなしながらこれを達成するなんて正直、途方もなく感じてしまいました。心が安定してる人は当たり前に出来てることなのでしょうか?(驚愕!Σ(゚д゚lll)
ちょっと分かりづらかったですかね。「関わりたくない」というのは思い(思考)であってストレートな感情ではないということです。
この質問については昨日のレター返しでも解説しました。またnoteのほうにも分かりやすく例をあげておいたのでご確認ください。リンクを張っておきます。
レターでいただいた質問を再録しておきます。
初めまして。 こちらを拝聴させていただくようになってから色々と理解が進むようになりました。クライアント側の者ですが、質問させてください。 今回の「親に関わりたくない」は気持ちではないのですか?これがどんな気持ちかはっきりさせると聞いて、頭の中が??でいっぱいになってしまいました。私は「関わりたくない」が気持ちだと思っていましたが、それ以上の気持ちなんてあるのでしょうか? 例えば、「仕事に行きたくない」や「仕事を辞めたい」これも気持ちではないのでしょうか?これ以上の気持ちは考えても全くわかりません。教えていただきたいです。
noteに追加したものを再録しておきます▽
この質問者さんは「(親に)関わりたくない」って書いてます。この「親に関わりたくない」これがどんな気持ちなのかはっきりさせることです。
この「関わりたくない」という思考が、不安からくるのか、怒りからくるのか、それとも恐怖なのか絶望なのか。そのときの自分の感情をはっきりさせてみましょう。
たとえば「会社に行きたくない」という思考も、昨日上司にパワハラされた怒りなのか、好きな同僚に冷たくされた落胆なのか、プレゼンをする不安なのか、人によって感情は違います。そういう感情をはっきりさせましょう。
感情がはっきりすると、もやもやは影をひそめてくれるでしょう。もやもやがちょっと収まれば、1mmくらいは幸せになれるかも☺
感情をその場で感じることができれば、たとえその感情を解消する行動ができなくても、感じているだけで少しは落ち着けるものなのです。それが恐怖でもかなしみであっても。
レター返しでも詳しくありがとうございました!noteも再読させて頂きました「行きたくないとか」「関わりたくない」というのは「思い」であるけどストレートな感情ではないといういうのは慧眼でした。言われなかったら一生分からなかったかもしれません。
しかも私の質問文【「なぜ?関わりたくないのか?」と掘り下げる必要があるということでしょうか?】もかなり思考だなと笑えました(笑)思考とは「思いと考え」と書きますもんね、成程でした。素直な感情を探して行きたいです(^^)