自分は愛着障害ではないかと思う出来事があり、こちらのサイトに辿り着きました。
自身が生きにくさを感じたことについてインターネットや書籍で調べる癖があります。そこで見つけたいろいろな症状に当てはまるな。と自分で思いながら、頭の片隅ではただのバーナム効果だろうとも感じています。浅学の自分が自己診断しても意味がないのもわかっているので、一度専門家に自分の辛さを全て聞いていただきたいなと思っています。
ただ、精神科やカウンセリングにかかる際、どの程度の辛さを抱えていれば、お話を聞いてもらう資格があるのかわかりません。私自身は真剣に悩んでいるので長く、悩んでいることはきっと一般的な悩みなので、こんなことでいちいちカウンセリングを受けるな!と思われるのではないかと不安になってしまい、カウンセリングをうける勇気が出ません。
お医者様やカウンセラーの方は、日々深刻な症状の方々を見ていると思うので、私なんかの小さな悩みを相談するのは、時間の無駄だと思われるのではないかと考えてしまいます。
とりとめのない文章で申し訳ありません。
こんな自分でもカウンセリングは受けてもいいものでしょうか。カウンセラーの方からして嫌なクライアントではないでしょうか。
カウンセリングを受ける資格というものがあるとしたらそれは、
- 悩んでいる人はすべて、受ける資格がある
ということです。そしてその悩みに関しては、浅いとか深いとかはありません。話しが重くとも、軽くとも、カウンセラーは同じように傾聴します。それがないと、目の前のクライエントに真摯に向き合うことができなくなるからです。話題がヘビーだから慎重に聴こう、なんてことをしていたら、きっと重要な言葉を見逃してしまうでしょう。なぜなら優劣がそこで発生しているからです。
- カウンセラーはクライエントに優劣をつけずに傾聴する。
この姿勢によってのみ、カウンセリングは進展していくのです。もし「軽いな」なんて思って聴いていたら、それこそ、色々な重要な言葉を見逃してしまいます。
重要な言葉というのは、クライエントがいままで生きてきた中で作り上げてきた言葉です。「かなしみ」だったり、「がまん」だったり、「怒り」であったり。
そういう言葉を発するわけではありませんが、様々なエピソードからそういう言葉の片鱗が立ち上がってくるのです。それをキャッチするのがカウンセラーの役目です。そうやってキャッチされた言葉は、カウンセリング全体を通して、クライエントの回復に寄与していくでしょう。
わたしの場合、カウンセリングは、クライエントの精神年齢によってアプローチが若干異なります。たとえば、精神年齢が成人期のクライエントと、精神年齢が幼少期のクライエントでは、アプローチが少し異なります。しかし、傾聴していることはまったく同じです。精神年齢の判別は、カウンセラーが傾聴していないと分かりません。こうやってクライエントを正しく理解することがカウンセラーには求められているわけです。クライエントの方は、安心してカウンセリングをお受けになってください。