自分は恐らく愛着不全で、恋人など特定の相手への執着が強いのですが、一見別れ際などあっさりしてクールに見えたり自ら人との関係を切るような愛着不全の人もいるのでしょうか?
先生のnoteなども拝見して、見捨てられ不安が強すぎてそのような行動に出るのかなとも思ったのですが、自分自身が見捨てられ不安による執着に苦しめられているので、そんなにクールになれるものなのかと疑問に感じました。
また、母親から自立できていない場合などで、恋人との関係は切れるけど親には執着している、みたいな、特定の相手(親など)以外には見捨てられ不安がない、みたいなケースもあるのでしょうか。
この回答については年末にお答えしていたはずですが、お返事がなぜか消えてしまっていたので、再度簡単にお返事しておきます。
あなたが愛着不全かどうかは分かりませんが、愛着不全の人は結局、母親へ執着しています。母親のためなら恋人さえも切っていきます。マザコンということですね。結婚したら配偶者に母親を求めます。それは男女とも同じです。男性なら妻に母親を求め、女性なら夫に母親の代理を求めます。
別れ話も、相手を母親と認定している場合は執着が強くなり、ストーカー行動へと高じたりします。その過程で「相手は母親ではなかった」と気がつけば、相手への思慕は急激に減少して、さっさと相手から去って母親へ戻ります。
こういう行動原理ですので、人間関係も不調になりがちです。10代の頃は大目に見られていても20代に入るとだんだんと友人関係が疎遠になりがちです。友人のほうから距離を取られていくのです。
こういう人が生きるのはとてもしんどいことのように思えますが、ロールモデルがないわけではありません。ティファニーで朝食をのホリーや、芸術は爆発だ!の岡本太郎などです。彼らが愛着不全かどうかはどうでもよくて、あのような「純粋に、ひとりで生きること」を決断すればいいのです。
これは独身を貫けというこどでもありません。気分はひとりで生きていけ、ということですね。子育てもさっさと20歳までに完了して、そのあとひとりで生きていけ、ということです。
とかく愛着不全の人は堅苦しく考えがちで、すっきりと道筋が通ってないと動けない特性がありますが、そのような特性を弱めながら、ご自身の純粋性に気がついて、生きていく道が用意されているのです。
ロジャーズ的にいうと、純粋性=自己一致ですね。こちらの方向に舵を切ることができれば、あなたの七つの海を進んでいくための羅針盤を手に入れることができるでしょう。