こんにちは。スタエフリスナーです。いつもありがとうございます。12月4日の放送で愛着不全も流れ者になると聞いてちょっと動揺してしまい初質問箱です。
執着の無い愛着障害が人もコミニティにも安定した関係性を作らず風のようにさすらって生きて行くのはわかりますが、人や世間からの承認を求め続ける愛着不全がそんな悟った仙人のような生き方を出来るのでしょうか?
また精神年齢が思春期以前で止まってる愛着不全に流しのような厳しい生き方ができるのでしょうか?少なくとも愛着不全ぽい私にはそんなことは不安で恐くて仕方ありません。関係性の中に生きていない個人は自由かもしれませんが、しがらみが無い分、高い能力や精神的な強さが必要に思います。何度も社会で爪弾きになって一人では生きていけない出来損ないの私にはそんな生き方はスーパーマンのように思います。
回復しきって精神年齢が成熟した大人になったらのお話でしょうか?だとしてもずっと人を居場所を求めてきた私には正直受け入れ難く感じてしまいました。
スナフキンはカッコいいですが私は愛されたいです。憧れられる存在より守られる存在になりたいです。気にかけられて愛されてずっと温かいぬくもりの中で生きていけることが私の小さい頃からの夢です。メンヘラ丸出しのウザい感想をすみません。高間先生が愛着障害や愛着不全に誰よりも尽力されてことは重々わかってます。だからこその甘えた感想ということでご了承いただけたら幸いです。
流れ者(drifters) については、あなたのおっしゃる通りだと思います。
人からの承認を求め続ける愛着不全の人にとって流れ者になるのは過酷でしょう。ただ、その生き方もオプションとしてアリなのだろうと、いまは考えています。愛着不全の人の一つの選択肢として在るかもと思います。
・元々流れ者であった、定着地を必要としない愛着障害の人にとっては流れ者に生きる人生は、自然に映るでしょう。
・しかし流れ者ではなかった愛着不全の人が、流れ者になるには、それはそれは過酷なことと思います。
ですから愛着不全の人の回復には時間もかかるし、大変なのだとお分かりになるでしょう。
この流れ者説は、最近、私の中に形になってきた「理想」のようなものです。愛着不全の人が流れ者のように生きることはムリかもしれません。しかし、それができれば、1つの回復プログラムになるでしょう。
ティファニーで朝食を、の話を最近、特にしていますが、あの主人公のholly は愛着不全の流れ者を地で行っている娘です。19歳という設定ですので、思春期まっさかりですので、あのような生き方ができるのでしょう。しかし、愛着不全の人が思春期で止まっているとすると、それはholly を地で行っていることなので、「どこへでも流れていきなさい」と背中を押したくもなるのです。
そこがNYでなくてもいいのです。アフリカの片田舎でもいい、そうやってティファニーの物語は終わります。愛着不全の人はNYの社交界に執着しがちですが、それはアフリカのモザンビークの社交界だっていいのじゃないか、と思うのです。これは差別しているわけではありません。
そのように、どこまでも純粋な気持ちを持ち続けて、何かを求めて生き続けること。つまり居場所を探し続ける生き方でも、ひとつの生き方には違いありません。居場所?見つからなくてもいいじゃない、それを諦める必要はないよ、流れている途中で死んでしまっても、それはその人にとっては、純粋なタマシイにとっては、十分生きたということでしょう。
わたしはカウンセリングの中で、あなたの中の2歳頃の純粋な子どもに出会いなさいと言ったりします。その純粋な子どもは愛着不全の人が、愛着不全になる前夜のタマシイなのです。そのタマシイを思い出せれば、そのタマシイのまま、holly のように「本物のニセモノ」で生きていくことだってできそうです。
こういう生き方もあるよ、という意味で、愛着不全の流れ者について考えています。愛着不全には、様々な不時着地点があります。その中の一つとして流れ者もアリと考えていただければと思います。