初めまして。一度おたずねしたく失礼しました(緊急性のあるご相談を優先下さい)
質問//虐待カウンセリングで流れ者という回復像は一般的なのでしょうか?愛着問題には安全基地の構築というのは最早専門家でも無くても聞いたことあるくらい浸透してるように思いますが、高間先生が時々話される「流れ者」という言葉は他の愛着関係の本や情報で見聞きした記憶がりません。似たようなニュアンスも。多分に自分が無知なだけとは思いますが愛着臨床の現場では共通認識なのでしょうか?回復イメージはとても重要に感じており質問させて頂きました。
愛着障害の人の回復イメージとしての流れ者についてのご質問ですね。
愛着障害の人は「親密が怖い」という病理があります。近い関係性を極端に嫌うのです。ですから孤独です。彼らが回復すると、「孤独は楽しい」となります。この感じは愛着のある世界で育った人にはとっつきにくいかもしれません。
愛着障害の回復イメージで精神科医の高橋和巳先生がよく用いるのがスナフキンイメージです。昼間はムーミン谷で過ごし、夜になったらおさびし山のふもとで一人テントを張って、悠々自適な生活を送る。これが回復イメージです。親密が怖い感じはなくなりますが、孤独と親和性が出てくるのです。
つまりずっとムーミン谷でべったりなわけではないのです。一人の時間をちゃんと持てる。その孤独な時間を楽しんでいるのです。
愛着障害から回復すると、つまらない日々になります。それまでの刺激のあるストレスフルな時間からは遠ざかるので、穏やかな時間が過ぎていきます。同時に、彼らはずっとひとりで生きてきたので、そのおだやかさの中でもひとりで生きる習性は残ります。それがスナフキン的な生き方になります。
例えば家庭をもって子どもとキャンプにいっても、夜明け前にひとりで釣り竿を持ち出して釣りに行ったりします。家族が起き出す頃に、魚を手土産に帰ってきたりします。そういう孤独な時間を楽しんでいるということは、日常は家族に囲まれていても、こころのどこかには風来坊な気質が残っているということです。
つまり、スナフキンの習性は一生つきまといますし、しかしそれが彼らにとっては大きな安全基地になるのです。昔の故郷が生まれ変わる、楽になる、そんな感じです。「昔とは違う」その感じは彼らの中にしっかりとあります。それが安全基地になります。
このへんについては「鍋がこわい」という病をお読みください。200頁たらずの本なので何度も読み返していただくと、愛着障害の人がどういうふうに治っていくのかが分かると思います。
流れ者=アウトロー=スナフキン、ですね。わたしのクライエントさんでは、愛着障害から回復していくと、楽になって、ひとりが楽しい、感じになられる方が多いです。普通の、愛着のある人とまったく同じになるかというと、それはあり得ませんし、同じになる必要はありません。彼らが、ひとりで生きてきた人生を肯定できれば、それでいいのです。これは虐待を許すというのとは違います。虐待されてきたけど、よく頑張ってきたな、いまでも頑張っているな、そう思えるようになれば、かれらの流れ者のナラティブが書き換わります。辛かった流れ者から楽しい流れ者に書き換わります。