少し前に加村一馬さんという方を知りました。13歳の時に生家の虐待環境から家出し、以来43年間山中でたった一人で狩猟採集生活をして生きてきたという方です。後年は社会の中に戻られたそうですが同じ職場の方の加村氏への言及で「人を寄せつない鋭い目をした人間不信の塊のような人だった。だが施設で人を助ける生活を通して柔和な目になっていった」という言葉で、愛着障害の恐れ回避型の人なのだろうか?と思いました。また13歳の少年が人を人間を拒絶して、文字通りこの世でたった一人で生きることを選ばさる得なかった心の風景とはどんなものだろうか…。また、ここまで人間嫌いが極まっても社会の中に戻れるのだな…と色んな驚きや43年の壮絶な孤独に震えるような心境が何日も経っても消えません。
徹底した自閉人生なので自閉圏など脳機能障害も考えたのですが、彼と接した人の証言から見える彼の人物像は自省や羞恥が強く、また愛着を向けられる(息子を戦争で亡くした優しい老夫婦から息子にならないかと請われる)と山に逃げ帰ってしまうことから親密の恐れや、現在は子供にサバイバル術を教える自然学校をやってることから脳機能障害があっては難しいと想像できる社会活動を43年の社会隔絶人生のハンデをおしてやっのけているいるのは能力がある人と想像でき、やはり愛着障害(だった)方なのではないかと何日も考えてしまって、高間先生はどう感じられるか投稿してしまいたくなってしまいました。無茶振りすみません。末筆になりますが新刊とても楽しみです!タイトルから今まで学んだ愛着障害の知識で色々想像が広がっています。
そのホームレスの方の話は、偶然YouTubeで見ました。「洞窟おじさん」で関連動画に登場してきたので、何だろうと思ったのです。ということは、そっち系のYouTubeを私がよく見ているということですね💦(廃村の動画を良く見ているので、人里離れた生活関連の動画がよく上がってきます。)
あの方がどういう部類の人間に入るのかは、正直よく分かりません。第二次世界大戦で密林へ潜伏し、戦後そのまま潜伏を続けた横井さんや小野田さんと同じ人なのでしょうか。彼らは戦争が終わったことは知っていて、そのままジャングル生活を続けたのでした。
加村少年は、当初は飼い犬と二人で生活していましたが、やがて犬も死んでひとりの生活を送ることになります。愛着障害の人は、親密が怖いのですが、孤独も好きなのですが、社会から孤立して生きようとはしません。緩い関係性を保って、社会のすみっこに属しながら、ひっそりと過ごしています。
加村さんも深い森の中で生活していたわけでなく、人が入ってくる場所で生活していたわけなので、「社会のすみっこにいた」と見れば、社会の息吹を確認しながらすみっこに居たことになります。
生活圏は「洞窟」ですが、もうちょっとひと目がつくところでの生活になると「河原」などになり、これは普通の、家族を捨てたホームレスですね。
加村さんが家を捨てた13歳の頃というのは1980年頃で、その数年後にバブル景気が始まります。彼はその世の中の喧騒を避けるように洞窟生活を始めたわけです。まだ10代だったのに。
エピソードを知ると、人がやさしく接してくれることに涙を流して感謝などをしていますし、迷惑がかかると言って、また山に帰っていったりしています。これは彼が大人の年齢になってからのエピソードです。
とすると、これだけでは判断できませんが、普通の人間関係を結べる人なのかもしれません。家でのせっかんが原因のように語られていますが、一人で生活できる術を得ていたので、大人への入り口に立ったころに、ホームレスを選択したのかもしれません。彼が山里生活を始めた時代もよかったのかもしれません。彼がホームレスを選択できる時代になっていたということです。「ホームレス」が選択肢にあった。あと10年早かったら、人が住む生活圏で、土管で生活する「乞食」になっていたわけで、ホームレスは続けられなかったかもしれません。
わたしは乞食とホームレスは違うと思っています。そして、今の時代は、ホームレスをもっと選択しやすいでしょう。
加村さんには兄弟がたくさんいました。兄弟たちが加村さんをどのように見ているのか、また兄弟たちも「洞窟」に似た人生を選択していったのかも知りたいところです。
ホームレスにはいろいろな精神年齢の方がいます。脳機能に問題のある人も大勢います。しかし彼はその中でも、普通に精神発達した人だったのかもしれないな、とも思っています。ただ、放浪を続けた山下清はやさしい人として描かれますが、脳機能の問題はありました。でも山下清のような人は大勢いるということです。
結局、よく分からないというのが、いまのところのわたしの結論です。