私は子供のようなコミュニケーションしかできません。相手の様子や反応を感じれず自分が話したいタイミングで話してしまうし伝わりやすさとか考えずに話すので相手が聞き返したりイライラすることになります。相手にストレスをかけるコミュニケーションしかできません。これで失敗し仕事も何度も辞めたしプライベートでも自分も相手も嫌な気持ちになるのに直せません。
失敗する度に傷ついて気をつけようとなるのですが同じことを繰り返してきました。カウンセリングも数年単位で通いましたが受容されるほどに子供のような性質が活性化して家族との関係はよりギクシャクしたものになりました。
以前は自分の悪いところを少しずつでも直したいと思ってましたが最近ではそれも思わなくなってきました。気を張りながら人と接するしかないなら、もう人と接するのはやめたいと思うようになりました。家族もこちらが黙っていれば不快になることはありません(経済的な理由から離れる選択肢はありません)話さなければお互いがイライラすることはありません(相手は話すので別に悪い雰囲気ではありません。こちらの気持ちが寒々しいだけです)これは不時着と考えていいでしょうか?それともより悪化する道でしょうか。社会でも家庭でも孤立が深まっていってますがこの自分じゃ仕方ないどうにもならないから少しでも疲れない選択だけとりたいとなっています。これは不時着地点となりますか?
あなたはこれまで人間関係において、苦しさの中を生きてこられました。何度もカウンセリングにトライしたようで、本当に何とかしたかったのだと思います。
カウンセリングの方向性は間違ってはなかったのだと思います。あなたのような方は、➊十分に受容されること、➋その次に不時着地点を探していくこと
この順番で進んでいくからです。➊がまだ不十分だったか、➋の途中で諦めたか、なのでしょうか。
では不時着とはいったいどういう状態なのでしょうか。それは一言で言えば、
緊張せずに楽になっている状態 です。
あなたの場合、あらゆる人と関係性を切る方向に舵を切ったようです。社会とも縁を切り、親とも心理的に縁を切って、その状態で家族の中で生きると決めたのですね。
親と心理的につながりを切って、しかし物理的には近くに居るという状態をキープするのはとても難しいことですが、その方法を取らざるを得ないお気持ちはよく伝わってきます。うまく行くといいですね。
一般的には、孤立は最も避けなければいけないことです。孤独はいいのですが、孤立は追い詰められていくからです。
社会からも親からも孤立するわけですので、なんとかあなたの孤独を楽しめるようにしてみてください。
秋が深まるシーズンです。だんだんと物悲しくなってくるかもしれませんが、その孤独を楽しめるようになっていくと、孤立していても大丈夫かもしれません。「かまってほしい」という気持ちも収まってくるかもしれません。
あなたの生き方が他人からみたら「ニセモノ」と眉をひそめられても、そこがあなたの安らげる場所ならそれでいいのです。そこでいつも朝食を食べられるといいですね。そうやってあなたは、自分が朝食を食べられる場所を探し続けるのですが、それがあなたの人生を象徴しているのです。「あなたのティファニー」を探し続ける旅は終わらないかもしれない。でも、それがあなたの人生です。
探し続けるーーこれは流れ者で居続けることです。映画「ティファニーで朝食を」で歌われる「流れ者」のことです。他人からみたらちょっとエキセントリックな感じになるでしょう。
ホームは見つからず、アウェイに死ぬかもしれない。しかしその生き方も、人間ならばアリなわけです。ニセモノも流れ者になれば、そこにはタマシイが入ってくるのです。エキセントリックなタマシイが。
ティファニーの主人公ホリーは、ときどき長い旅行に出ます。郵便受けには洒落た字体で「Traveling(旅行中)」と書いたカードが差し込まれています。
After all, how do I know where I’ll be living tommorrow? So, I told them to put Traveling.
あしたどこに住んでいるか分からないのが人生でしょ?だから、彼ら(ティファニー)に「旅行中」と印刷させたのよ。
ホリーはそんなジョークを言うわけですが、ニセモノのホリーにタマシイ(かなしみ)が宿った瞬間と言えるかもしれません。
愛着障害だろうが愛着不全だろうが、愛着に関してはニセモノ感は拭えません。しかし、ニセモノだってタマシイはあるのです。安住の地は見つからないかもしれない。でもタマシイとともに流れて行きましょう。そこが彼らの安住の地です。