以前の質問箱から読ませて頂いてました。その頃の質問だったと思うのですが愛着障害は愛着のパイプが無いため常識がなかなか身に付かずテスト勉強の一夜漬けのようにその場限りの知識になりがちとありました。冠婚葬祭などでは調べまくってもまた忘れるので都度慌てるとありました。自分は愛着障害かはわからないのですがとても共感しました。
若い頃は何とか都度都度やってたのですが加齢と共にこれを負荷に感じることが深まり一夜漬けが発生しないように何事にも消極的になり人生が尻すぼみしていきました。尻すぼみが進行し今はもう何が楽しくて生きてるのかわかりません。
かりに愛着の問題が原因でこのような傾向があるのなら回復したら学んだり経験したことは身についていくようになるのでしょうか?それとも普通の人のようにはやはりならなくてどことなく一夜漬け感は残るのでしょうか?
愛着障害の人は常識的なことが抜け落ちていることが、少なくありません。ですから、常識が必要になると、その都度学習することが発生します。
そしてその常識はなかなか定着しません。付け焼刃の常識は、取りあえずの、かりそめの常識だから定着しないのです。
この状態は、愛着障害から回復してきたら、普通の人のように常識が完全に身に付いたものになるのか。なる部分もあるしならない部分もあります。
生活に安心できるようになるので、以前よりは身に付く度合いは高くなりますが、やはりどことなく気の使い方などは常識外れになってしまうことは仕方のないことかもしれません。
30年かけてゆっくりと成人期になった普通の人と、数年で成人期まで持ち上がった愛着障害の人との差というものでしょう。これは仕方のないことなので、常識が必要になったら、その都度学習し直すことを繰り返していきます。
質問者さんの場合、愛着障害かどうかは分かりませんが、常識的なことをすることがめんどくさい場合も、そういうことから避けるようになります。ちょっとした反抗の一種ですね。思春期っぽいところがあると、常識に対して銃を向けたくなります。この場合、常識への批判が中心にあるため、愛着障害ではありません。常識が分からないのではなく、常識的なことをしたくない心性が働いているのです。
詳細なご回答いたみいります。反抗心からの常識への抵抗と愛着障害のそれとは全く違うのですね。確かに私の心性には反抗心があります。私の常識の無さは成人期に達してないところからくる不安や視野の狭さからくるのかもしれないと思えました。それから反抗心とニアイコールの怒りも再確認できました。どこへ向けての怒りなのかまだ感情的にはわかりませんが、これからも学ばせて頂きながらじっくり考えたいです。急に寒くなりましたのでどうぞ体調お気をつけ下さい。ありがとうございました。