はじめまして。カウンセリングを受けたいけど、どんなスタイルや流派がいいのか迷っています。そんな中で発見したこちらにはカウンセリングの過程での迷いや気づきに丁寧にお返事されており、自分も質問をさせていただきたく思い失礼致しまた。よろしくお願いします。
私はいわゆる「指示待ち人間」で、主体的に物事を推し進めていくということは苦手というか、ほぼやったことがありません。
カウンセリングでも同じで、傾聴型の所は何を話したのか覚えてないくらいに手応えがありませんでした(心理士さんの問題ではなく人生全般をよくよく振り返るほどに自分側の問題だと感じます)
ですから分析型だったり質問型の方が「やった感」があり、また提案型で色々「こんなことしてみたら?」と言われると従う性質があるので、全てではないですが言われたことを素直にやってメンタルや生活が良い方向に改善するということがありました。
ですがソレアカウンセリングセンターさんの出されてる読物を沢山拝読して、高間先生は心の成長が止まった愛着障害や愛着不全を専門とされてて尚且つ、色んな心理療法を変遷されながら傾聴カウンセリングに至ったということについてとても気になっています。
今までの私の経験からすると提案型カウンセリングに行って、ザッと主訴を述べて分析された後に提案されたことをただやって行けばいいのだと何となくわかります。
でも、私も心の成長が止まってアイデンティティというものが曖昧な人間に思うので、高間先生がどうして愛着カウンセリングに傾聴というスタイルを取られているのか、一度お聞きしたく思いました。また提案を実際にやってみてしばらくは良いのですが、主体性がないので難局を抜けられなかったり常に指示をくれる相手を求めてしまう所がありこのままではいけないのかな…と年を経るごとに思うようにもなりました。
ご多忙の中お手数おかけしますが、ご回答いただけましたら幸いです。
カウンセリングであっても、心理療法であっても、何をやっているのかというと、次の3つに絞られると思います。
➊精神年齢を成長させること
❷トラウマの除去
❸その他
■精神年齢を成長させること
大人のこころの相談でまず一番重要な部分が、精神年齢を成人期に持ち上げることです。この方法は、何かカウンセラーが仕掛けて、それによって相談者の精神年齢が進むわけではありません。
相談者の中からこころが発達するようなトリガー(治療への主体的な取り組み)が生まれて、自分で自分をケアし、奮い立たせるものが誕生してこないといけません。
そのためには傾聴が必要なのです。特に人の指示待ちをする人に指示を出してしまうと、いつもそれを待つようになってしまって、カウンセラーと共依存の関係に陥ってしまうので、カウンセラー側も十分に注意が必要です。
精神年齢が幼児期でストップしている場合は、傾聴しつつも、少し積極的に聴くことも必要ですが、それはオプションの一つで、絶対に必要かというと、そうでもありません。
精神年齢が学童期や思春期でストップしている場合も、主体的に動く自分が出てくるまで待っていることが重要ですが、何かを提案する場合もあります。この場合は、精神年齢を発達させるというよりも、どこに不時着するのかという視点で、相談者が自分で語った言葉の中に、その不時着地点を探しながら、着陸していきます。
提案という形にならないように、相談者が語った言葉の中から拾っていくということがコツになります。
■トラウマの除去
精神年齢が幼児期でストップしている人には、相応のトラウマがありますので、その除去も必要です。愛着障害はPTSDの中の一つですから。
しかし、これはトラウマ除去用の心理療法を使うというよりも、安心感や信頼感を醸造する関係性が大切になってきます。愛着障害の場合は、特にそれが必要です。
この安心感が出来てくれば、それはトラウマ事象にじわじわと効いていきます。安心感という薬はそれほどまでに効果的です。
例えばEMDRでは、トラウマの出来事を話してもらっているときに、左右刺激を与えます。この左右刺激によって安全感が生まれトラウマが治癒されるという仮説によって治療が進みます。
しかしこの強引ともいえる左右刺激がどれほど効くのかは、私も半信半疑です。効かない場合もあるからです。その場合はトラウマが暴走してしまって、大変なことになりかねません。ですから、トラウマに対しては、じわじわと効いていく手法を取っています。
精神科医の中井久夫氏は、重篤なトラウマはそれを思い出さないほうがいい、とも語っています。
トラウマの除去はそれほどまでに繊細なこころ配りでもって当たらなければならないのです。
■その他
精神年齢が成人期の人で、トラウマのない場合に対しては➊も❷も必要ありません。日々の生活のもつれや、原家族とのもつれを整理していくだけです。カウンセラーの出す余計な指示は話をややこしくさせるだけなので、何も出さずに傾聴に徹します。
結果、自然ともつれがほどかれて行きます。