ときおり使われる「かりそめの思春期」「かりそめの成人期」の意味がまだよくわかってません。
愛着が問題がある愛着不全や愛着障害はカウンセリングて回復するまで「かりそめ」ということでしょうか?
ネットで検索すると「かりそめ【仮初】その時かぎりのこと。しばし。まにあわせ。当座。」とありました。この意味でのご使用でしょうか?本物の思春期や成人期ではなくて、間に合わせのものだからとても大変ということですよね…?
愛着不全や愛着障害でもカウンセリングで良くなれば「かりそめ」ではなくて、本当の思春期や成人期になれるということでしょうか?
私は実年齢は成人期で愛着不全ぽいのですが、愛着があるから愛着障害より「かりそめの成人期」から「本当の成人期」になるのは時間がかかるのですよね…?
色々間違ってる気はするので、改めてご指南頂けたらありがたいです。もし何度も説明してるとのことでしたら、適切な記事のリンク先を教えていただけるだけでも結構です。うまく記事を検索できませんで…お手数おかけします。
かりそめの成人期、かりそめの思春期は、高間用語です。心理の話題で使っても通用しませんのでご注意ください。高橋和巳先生の研修などでも通用しません。しかし、「かりそめ」という言葉は使い勝手がいいので、もし使えそう!と思った場合は、どうぞお使いください。
かりそめというのは、その場しのぎ、間に合わせ、という意味で使っています。
ジェノグラムにはその人の精神年齢を記載するようにしているのですが、
- かりそめの成人期は(成)
- かりそめの思春期は(思)
このように記載しています。
■「かりそめ」は愛着障害の場合のみ
そして「かりそめ」という言葉を使う場面は、愛着障害の場合のみに限定しています。高橋和巳用語では、愛着障害は「異邦人」とも呼ばれますので、ジェノグラムには、
- 異(成)
- 異(思)
というふうに記載されることになります。そして、治療が進む中で、
- 異(思)→ 異(成)→ 成
というふうに精神年齢がアップしていきます。目指す先は、成人期ですね。
■愛着不全の場合は「かりそめ」ではない
愛着不全の場合は、思春期あるいは学童期で足踏みをしている状態ですので、
- 学
- 思
このように記載されます。かりそめではなく、直球の学童期あるいは思春期です。
■かりそめは儚いから治りやすい
かりそめは儚いです。ですからちゃんと崩してあげられれば、次へ進んでいけるのです。これが愛着障害の治療が進みやすい原理です。
それとは違って愛着不全は、はかないわけでなく、親への強い期待感でみなぎっています。いつか分かってくれるはず、いつか振り向いてくれるはず。全然、はなかくありません。そのため、それを崩すのは大変な作業になります。崩す必要があるのかどうか、不時着もあり得るのではと探っていく作業が、カウンセリングになります。