こんにちは。質問させてください。
愛着不全とは機能不全家族と成人学童期の2つの概念を合わせたものだと先生の解説を読みました。健全に思春期を超えられなかったということですよね?学童期で停滞した心が出口を失うという感じでしょうか?
では、思春期でつまずいた機能不全家族育ちの人間は学童期に停滞するどころか、幼年期まで退行するなんてことがあるのでしょうか?
私は反抗期はそれはそれは激しかったのですが、家庭が機能不全過ぎて疲弊しきって、きっと自衛のために解離しすぎて世界に意味を感じるのを諦めたっていうか、、、。一切を信用できない。基本的信頼感がなくなってる感覚です。そして成人として卒なく何でも自分でこなすことで他者を遠ざけて身を守っています。
愛着不全の方は、私の臨床的な感覚では、精神的には学童期~思春期あたりをウロウロとしている感じです。思春期を乗り越えようにも越えられない、大きな壁の前で悪戦苦闘している感じです。
- その壁は親子関係によって出現したものです。
通常の思春期では、その壁は低く、そんなに苦労なく越えていけるわけですが、愛着不全の方は、天まで伸びているように感じる壁の高さに途方にくれて立ちすくんでいます。
一方、思春期から学童期を行ったり来たりしているわけですので、学童期の始め頃、つまり幼稚園頃まで簡単に戻ったりします。外から見ると赤ちゃん返りをしているように見えますが、内側から見ると学童期初期の私であり、それは戻っているのとは違います。もともとの「学童期」という状態を表現しているだけです。
つまり学童期=4歳頃~20歳頃 と考えると、つまり思春期という過渡期を学童期の中に入れてしまうと、4歳から20歳までを行ったり来たりしているわけなので、4歳頃に戻ったとしても退行しているわけではないのです。でも実年齢が大人の「私」が4歳をやっているので、外から見ると退行ですね。
■退行とは
退行は良いものと悪いものがあります。良い退行は、創造的な退行です。解離も創造的な解離がありました。それとかなり似ている状態です。芸術作品などは創造的な解離の中で生み出されますが、そのとき創造的な退行をして、子どもの自分が遊んでいる体験をしていることもあります。
■激しい思春期
親が子どもっぽい場合、つまり成人学童期の場合、子どもの思春期は激しくなります。分かってほしいのに「分かってくれない」からそれに対して異議申し立てをするのです。しかし、それでも分かってくれないと、反抗はもっともっと激しくなります。
そして最終的に諦めるしかなくなり、親への挑戦は「空振り」となり、虚しい気持ちがこころに広がっていきます。思春期が中途半端に終わって、その中途半端さをその後の人生でも引きずって生きることになります。
激しい思春期であっても、親が受け止めてくれていれば、親への挑戦は空振りにならず、ヒットを打てて晴々とした気分になります。その結果、自然と思春期を抜けていけるでしょう。
■思春期がなかった場合
- 目の前に出現する壁が低い場合は、ほぼ軽い思春期で終わります。
- 壁が高すぎる場合は、学童期の頃から途方にくれて何もせず、できるだけ回避しようとします。ここで、いい子になるとか、ガマンするとか、いろいろな戦略を子どもながらに実践するわけです。